世の中には二種類の人間がいる。
虫が平気なやつと、虫を受け付けないやつ。
俺は完全に後者。

多い少ないはあれど、人にはそれぞれ何か1つくらいは怖いものがあるはずだ。
たとえば俺の知り合いの女性は、初めてトムブラウンの漫才を見た時に怖くて泣いてしまったと言っていた。
彼女にとってのトムブラウンが、俺にとっての昆虫だ。

虫嫌いを語る人間は多くいるが、俺は虫嫌いの中でも選りすぐりの虫嫌い。そこらの虫嫌いとはレベルが違う。ムシキングの対義語が、俺だ。
俺が思うに、自称虫嫌いは、いくつかのランクに分かれている。

Fランク→ゴキブリがダメ。それ以外は大丈夫
Eランク→ゴキブリに加え、蛾やカメムシなど害を及ぼしたり菌を持っていそうな虫もダメ。
Dランク→害虫に加え、「飛ぶやつはNG」「足が多いやつNG」など、明確に嫌いな昆虫がいる
Cランク→基本的にほとんどの虫がNG。カブトムシ、チョウチョなどの比較的イメージの良い昆虫は大丈夫。
Bランク→基本全部ダメ。チョウやカブトムシすら触れない。アリ、蚊などかなり小さいものは大丈夫
Aランク→アリや蚊も含めた全ての昆虫がNG
Sランク→昆虫がNGなのは当然で、夏は曲がり角や電柱、木など実際に昆虫がいなくても気配を感じるだけでNG。

といった感じだろうか。俺から言わせれば、Bランクより下のランクは虫嫌いとは呼ばない。俺はバキバキのSランクだし、夏に正気を保って歩くことができないレベルなので、ビーサンとか半ズボンとか履いてるやつ見ると羨ましくなる。
露出が増えると虫がぶつかる面積が上がるので非常に危ない。
虫嫌いにとって肌を露出して夏の道を歩くのは、戦地に裸で赴くようなものなのだ。
冬の方が人は肌の露出を少なくするのに冬は虫は現れず、暑くなって上着を脱ぎ出す夏に虫が動き出すというのは、神様の大ミスだ。一刻も早く修正しろと抗議したい。

そんな俺だが、生まれた瞬間から虫が嫌いだったわけではない。小さい頃は道に落ちてるコクワガタを拾ってきたこともあったし、車に轢かれたカマキリを道路の脇に持って行ったこともあった。昆虫園も好きだったしよく木にも登る方だった。
しかし、いつの日からか俺は完全に虫に恐怖を覚えるようになった。

おそらく、俺が虫を嫌いになった出来事は1つではない。えんぴつでサナギを潰した感触を知ってしまった時や、机に入れていたカマキリの卵が孵化して小さいカマキリが大量発生した時、カブトムシを狩りに森へ行ったらゴキブリとカミキリムシだらけだった時もだし、本を読んでいたら中からすばしっこい虫が飛び出してきて俺の布団の上で消えた時、いつも通る通学路の、ある家の葉っぱ一枚一枚すべてに毛虫がついていたのを見た時など、ショッキングな映像として蓄積された「虫=気持ち悪い」というイメージが脳に擦り付けられていった。

俺の実家は、幸い虫が出ることがほとんど無い家庭だった。ゴキブリも家に出たのは一度だけで、その時も「前から住ませてもらってやす、えへへ」という感じではなく、玄関のドアを開けた時に外にいたゴキブリが一緒に入ってきてしまっただけで、父親が箒で外に出して解決した。

そういう温室育ち的なこともあって、今の生活で家に虫が出るとパニックになってしまう。
今住んでいる家でも一度だけ深夜にゴキブリが出たことがあり、俺が夜中に嫁を叩き起こし、あまりにもしつこく倒せと命じたため不仲になりかけた。
あと少しで虫に家庭を壊されるところだった。

思えば、虫関係で人と嫌な空気になったことは多々ある。特に大人になってからは、「虫くらいで。大人なんだから」と言わんばかりに周りの人間も苛立ちを見せることが増えた。
前に付き合ってた彼女と、京都か奈良かのお寺に行った時あまりにもセミが多すぎて、セミの声を聞くだけでノイローゼになりそうだったので「疲れたから寺に行きたくない」と駄々をこねて、無理矢理アイスだけ食べて帰ったこともある。ちなみに、同じようなことが家族ともあった。
それから、前職で清掃業をしていた時に、運ばなければならない荷物に小さな蛾がついていて、上司に「ごめんなさい、ぼく虫がほんとうにダメなので虫を殺すか逃すか、先輩がこの荷物運んでくれませんか」と言ったところ最初はギャグだと思われたらしく「いやいや、こんな小さい蛾やん」と返されたが「すみません本当に厳しいんです」と何度も拒絶をし続けていたら、仕事にならないと思われたのかすごく怒られたこともある。
仕事で言えば、アルバイトでレジをやっていた時、応援に行った店舗が異常な数のカメムシが発生する店舗で、店の中を何匹も飛び回っているのでお客さんから貰った1000円札を握りしめたまま20mくらい逃走したこともある。

思い返してみると、虫への恐怖がもたらしてきた影響は多い。その場限りであっても、自分の恐怖心が他者を巻き込んで不快にさせてしまっているので、自分だけの問題という訳でも無いのかもしれない。
かといって克服できるかと言われれば到底絶対1000%無理な話で、克服できるものならもうやっている。
怖がらないためにはまず敵を知るという克服方法はあると思うが、俺は割と虫に詳しい。
家の近くで見つけた虫はネットで調べ、どのくらい繁殖するのか、成虫の大きさは、卵はどんな形か、など自分に危害が及ばないようになるべく調べるようにしている。
それに虫の図鑑や動画、写真は全然普通に見れる(むしろ捕食系などエグいやつもへーって見たりする)。だからゴキブリは下から上には飛んでこないとかそういう知識だけはあるものの、そもそもゴキブリと対峙することすらできないという段階なのだ。

また、克服しようとして虫を愛そうとしたことも何度もあった。映画やアニメ、特にディズニーなんかの作品では虫がいいやつのことも多いのでそういった二次創作の作品の虫に感情移入してみたり、「クモは他の虫を食べる」みたいな価値を見出してみたりしてみたが、実際に目の前に現れると動けなくなってしまう。バグズライフみたいにコミュニケーションが取れるなら、もし家の中に虫がいたとしても「よお、お疲れさん。ここは俺の家だから出てってくれないか。悪いな。」と言えるのだが現実は家の壁をのそのそと這うばかり。クモが他の虫を食べるとしても、それは自然界でやることでうちに勝手に巣を作っていいとは言ってないからな、と思うし。

俺たちが自然を奪って、彼らの居場所に家や建物を建てているのは知っているが、それでも生活圏には入ってこないでほしい。確かに虫がいなくなれば植物が育たなくなったり、結局巡り巡って全ての生態系の維持につながってるのは分かるけども、でもそれでも気持ち悪いから俺の前に現れないでほしい。
俺も全ての虫をこの世から消し去りたいとは思っていない。ただ、町に降りてこないでくれ。
山で飛び回る分には全然良い。原っぱでも良い。
でも冷蔵庫の裏や、エアコンの中や、アスファルトや、電柱にどうか出てこないでください。
特にセミは一生地面に潜っていてください。
セミが出す音、全て不快です。
赤ちゃんみたいな目をしてるところも嫌いです。
自分からぶつかってきといて痛そうな声出すところも嫌いです。そのくせ俳句とかでよく使われてていい風物詩みたいになってるのもムカつきます。
ごめんなセミ、言いすぎたけど本音でごめんな。

最近は車に乗ることも増え、以前より外に出なくなったがそれでも虫との遭遇は免れない。
家の中で遭遇することも残りの人生で何度もあるだろう。俺は家の中で虫と会った時のために、欲しいものがある。



これ。

これがあれば無敵になれる。

誰かください。


さて、今家にいる細い虫は嫁に倒してもらうか。