昨晩、小学校の頃からの友人と久しぶりに通話をした。無類のクラスメイト好きで知られる俺でも名前が出てこない人たちの名前をスパスパ答える友人に怖さを感じながら、昔の話に花を咲かせるうちに、そういえば子供の表現力の高さは凄まじかったなと再認識させられたので、今日はその事について書いていきたい。


 突然だが、皆さんはあだ名をつけられたことはあるだろうか。小学生のあだ名つけ力(りょく)は滝沢カレンや有吉弘行にも匹敵すると俺は思う。そこで、昔の皆のあだ名を思い出しながら、あだ名について分析してみる。

まず、あだ名は主に3種類に分けられる。例えば、名前をモジったもの※1 、名前を省略したもの ※2 、そして見た目や特徴、その時の流れなどから発生したもの※3 だ。

※1 ガッキー、ユーミン、シンタロスケ(石原慎太郎) 等

※2 キムタク、たかみな、おぼはる(小保方晴子) 等

※3 ゴジラ、ギター侍、弁当箱(篠原信一)等







↑徐々に弁当箱になっていく篠原信一(5枚)

聡明な皆様なら既にご存知だと思うが、モジッたり略したりするあだ名は面白くない。仲良しグループでそれとなく付けてみたり、なんとなく語感が良かっただけの下級あだ名。便宜上、あだ名と書いてはいるが、俺は本当はこんなのはあだ名と認めていない。
とすると、面白いのはやはり名前以外の特徴からつけられるあだ名だ。これから、小学校のときに印象的だったあだ名をいくつか羅列する。矢印の前がその子の特徴、矢印の後があだ名になる。

おばさんぽい雰囲気の子 → 昭和

体が大きい子 → 肉弾戦車

何の変哲もない子 → イケメン

髪がツンとしている子 → 玉ねぎ(驚くことに、俺の小学校には玉ねぎが"2人"いた) 

等だ。昭和って最初に言い出したやつ天才だと思う。

しかし小学生というのは本当に残酷で、こんなところで書けないような、流石に差別的すぎるだろというあだ名も多かった。しかし、中学にあがると俺たちも少し大人になり、そういうあだ名はぐんと減った。完全に無くなった訳ではないが、逆にそういうあだ名をまだつける奴の方が迫害されていったように思える。ただ、高校に入るとまた少しずつあだ名は増える。ある程度同じメンバーだと飽和してしまっていたあだ名文化が、高校でメンバーが変わって男子高生のアドレナリンに火を付けたのではないかと思われる。
陰湿なものも多いので書ける材料は少ないが、女性の英語教師が何のゆかりもない「たけし」というあだ名をつけられたのと、他にも眼鏡をかけている生徒はたくさんいるのに「メガネ」というあだ名をつけられた奴がいて、眼鏡のやつがそいつを呼ぶときも「メガネ」と呼んでいるのが面白かった。
ちなみに俺は目が細くてガリガリなのだが、高校で後ろの席に座っていたヤンキーに「マンティス(カマキリ)」というあだ名をつけられた。俺は卒業するとき、その日着ていたYシャツにクラスの皆からメッセージを書いて貰っていて、元カノの名前を書くやつやポケモンのダクトリオを書くやつなど本当にやりたい放題されてしまったが、そのヤンキーに書いてくれと頼んだところ背中にデカデカと「しっかり生きろよ、カマキリ!」と力強いメッセージを残してくれた。
このYシャツは俺の宝物だが、実家に置きっぱなしにしてきてしまった。