「突然の別れ」に思うこと | あゆみ有柚の ‟ 楽しい ” をまじめに楽しむ

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~ はづき数秘術 継承セラピスト ~
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自分にとって楽しいコトって何だろう ?
数字と自身について向き合って「~ねばならない」 を手放しましょう !!

おはようございます、有柚です。

 

令和3年が明けて早、一か月が経とうとしています。

 

ご挨拶がすっかり遅くなってしまいましたが、

本年ものんびり投稿して参りますので

よろしくお願い申し上げます。

 

さて、今年初の公式行事・・・と言うと大袈裟かもしれませんが。。。

 

 

 

久方ぶりに、家族・親戚以外の方の告別式に参列して参りました。

 

この数年、趣味(?)のお稽古でご一緒していた方でした。

最後にお会いしたのは、年末最後のお稽古の日。

 

「 よいお年をお迎えください 」 と

皆さんで声を掛け合ったのが最後でした。

 

今年に入ってお稽古日は3回ありましたが、

2回目の時はお休みの連絡があったのに

3回目の時には何の連絡もなかったので

特に親しかったお仲間が連絡をしたところ

この度の訃報を知ることになりました。

 

お稽古では、お互いに個人情報は語らないので

私もその方の事は、お名前と住んでいる地名くらいしか

知りませんでした。

 

告別式の会場で、年齢と看護学校で学んだらしい  ことを知りました。

 

どちらかというとハスキーボイスで、ゆったりとしたテンポで話す方

でしたから、看護師としてお勤めされていたのなら きっと、

その声を聴いて安心感を得たり 、癒されたり

心に光を導くことが出来たのでは・・・と推測します。

 

お人柄は、真面目で控えめ。でもお話にはとてもユーモアがあり

みんなを楽しませるのが上手。なのに それがわざとらしくない。

人前でのトークも軽快で、聞いている皆さんも思わずクスッと

笑ってしまう。小柄なのも手伝って、とても可愛らしい方でした。

 

驚いたことは、年齢です。

私の母は、10年前に67歳で他界したのですが

その方は享年77歳でした。母が元気でいたら同い年です。

 

お稽古のお仲間の半分は60代以上ですから

私にとっては、皆さんのお話を「 母の言葉 」として受け取ることも

多々あります。

当たり前のように、そこに行けば会える感覚を持っていました。

 

今頃ではありますが、

 〝 私は沢山の母に囲まれているんだなぁ・・・ ″

と、しみじみ感じました。

 

何度も、家族・親戚として「 最後のお別れ 」を告げてきました。

そうでないときは遠巻きに見送るだけでしたが、葬儀場の方に

 

「 ご遺体の状態の時までは、皆さんの声は個人に聴こえています。

 声に出して お別れの言葉を掛けてあげて下さい。」

 

と言われました。

私は、そんな風に具体的に言われた記憶がこれまで無かったように

思います。大抵はご家族・ご親族の方々が棺を囲んでお別れの儀式

をし、そのあと斎場に移動。ここで本当に 「 最後のお別れ 」 となり

ちょっとした知人では、何となく棺の側までは近付きがたく、その様子を

離れた場所から見守る・・・という感じ。親族でもないのにズカズカ

踏み込んではならないような思いでいました。

 

私の親族の葬儀・告別式の時に、係員は ちゃんとそのような案内をして

くれていたのだろうか?私には覚えがありません。単に私に余裕がなく

周囲に気を配ることも、人の言葉に耳を傾けることも出来ていなかった

のだろうか?何度も参列しているのに、覚えていないとは情けない・・・

 

 

せっかく教えて頂いたので、

「 短い間でしたが、ご一緒出来て楽しかったです。

 有り難うございました。また来世、お目に掛かりましょうしましょう。」

と、お別れを言いました。ちゃんとお耳に届いたでしょうか・・・

 

 

献花に囲まれたお顔は、穏やかで安らかで  本当にただ眠っている

かのような表情でした。

 

思い残すことは何も無い・・・とまではいかなくても、

先立っても心残りは無い・・・という表情にお見受けしました。

いい人生だったのだろう・・・と思いますし、そうであってほしい。

 

 

会場でお見送りをし、一緒に参列した方々と精進落とし代わりの

食事をして解散。

お稽古仲間がいなくなった・・・という事実を、まだしっかり把握できない

状態での帰宅。

 

 

直近では、入院していた親の葬儀が6年ほど前にありました。

その時はある程度「 心の準備 」のようなものがありましたが、

今回は予期せぬ事でしたから 知らせを聞いた時は驚いてしまい、

メモをとるのが精一杯でした。その日から一週間が経ちました。

家に籠り、ハンガーに掛かった礼服を見るごとに、事実なんだな・・・

と自分の中でも徐々に理解が追いついてきました。

 

 

葬儀・告別式というと、親戚の年配者について参列するものと無意識に

理解していたようです。勿論、有名人の訃報などを見聞きして

 「誰にでも訪れる別れ」 と、頭ではわかっていましたが、そうではなく

普段から、決まった場所に行けば必ず会えた人が

ある日突然そうではなくなる、という可能性を 

私のすべての知人が持っている。

それは、誰かの知人である私も同じこと。

 

 

誰もが 産まれた瞬間から死へと向かって生きるのですから、いつか

別れの日が訪れるのは  本当にわかりきったことなのですが・・・

時間の経過と共に、寂しさが混み上げてきます。

 

 

今後は、このようなことも今まで以上にしっかり頭に入れておこうと

思います。後悔を残さないように、会いたい人には会う努力をし、

行きたい場所には行く努力をし、やりたいことはやる気力をもち、

実行する覚悟を持とうと思います。大切なのは、「 思う 」だけで

終わらない事。

 

その一つとして、自分の終活について  考え行動していく必要性を

改めて感じました。。

 

一年のはじまりから、人生の締めくくりを考える良い機会を頂いた

ことに感謝すると共に、故人のご冥福を深くお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

本日も、最後まで読んで下さり有り難うございました。