人は死んだら、何処に向かうのだろう。
漫画『ランド』では、二つの世界が描かれます。それがこの世とあの世。
主人公、杏が暮らす「この世」は、中世日本(江戸時代くらいかな?)を思わせる山村。四ツ神様と呼ばれる神を信仰する閉鎖的な旧時代社会です。
「この世」では、人は五十を超えて生きる事が出来ません。
例外なく誰もが五十を迎えると、村の皆に見送られながら、「あの世」へと向かいます。
村人はこれを「知命」と呼び、知命を迎える事は大変な誉れとされています。
しかし実際の所、「あの世」へ旅立った人間がどうなったのかは、「この世」の人間は知りません。
また、「この世」では、災害や凶相の度に、子供を生贄に捧げる恐ろしい因習も存在しました。
物語の冒頭。そんな悪き習慣により、主人公の双子の姉、アンは生贄として山奥に捨てられてしまいます。
運良く生き残ったアンは、自らが生きる意味を見つける為、「あの世」で暮らす事に。
冒頭に述べた通り、「この世」は、日本昔話に出てくるような中世的な世界。
じゃあ、歴史物の物語なのかと言われれば、全く違います笑。
何故なら「あの世」とは、科学技術の発達した近未来な世界なのです!
そして、「あの世」の人々は歳を取ることなく、皆が若々しい姿をしています。
え、どう言う事?
そう思いますよね。
だけど、この設定がとにかく秀逸なんです!
全てのハジマリ
かつて、日本を未曾有の大災害が襲います。
大地震により、本州の殆どが海へと沈み、日本という国は、一度終わりを迎えます。
多くの人が死にゆく中、生き残った双子の子供がいました。
子供の名前は、「天音」と「和音」
災害を通して、死というものを強く実感した二人は強く思います。
死にたくないと。
そして、人の死ぬ事の無い理想の世界を創ろうと決意するのでした。
死を超越した世界
やがて、天音と和音は、不老不死の薬の開発に成功します。
そして、株式会社「ランド」を設立します。
「ランド」は、不老不死を世界に売り、核のゴミを引き受ける事で、瞬く間に、世界一の大企業へと上り詰めます。
「ランド」は、何処の国にも属しません。
嘗ての日本を、国としてではなく、企業として復活させる。
それが、二人の選んだ選択でした。
「この世」と「あの世」の誕生
とは言え、誰もが不老不死を受け入れる訳ではありません。中には、人らしく歳を取って死にたいと思う人もいる訳です。
反対派による大規模なデモにまで発展した頃、二人はある決断を下します。
「ランド」に批判的な人間が望む新世界の創造。
不老不死反対、核反対、消費税反対、格差社会反対。そのほかにも少子化問題、エネルギー問題、環境問題。
「ランド」に対する人々の不満全てを取り除いたユートピア。
それこそが「この世」の真実でした。
また、「この世」の創設には、もう一つ目的がありました。
嘗て文明を発展させてきた偉人達が存在せず、もしも世界が「この世」だけだったら、人々はどうなるのか。
人類史を再現し、それを観測する。
だからこそ、「この世」に文明の進化は必要ありません。
「この世」に、文字という文化が存在しなかったのは、その為でした。
生きるとは?
「ランド」の物語では、終始、人々の生への欲望がテーマとなってます。
とは言え、よくある不老不死へのアンチテーゼという訳でもないです。
物語の終盤、天音は自身が不老不死を求めた理由を、こう語っています。
“ 長生きするほど 人間の奇跡の瞬間を多く見られると思っていたんだよ”
そして、こう続けます。
“ただね 人間がついて来なくなった…
長寿に甘んじて 漠然と生きるだけ”
ただ生きる事だけが目的になってはいけない。その瞬間瞬間を意味を持って生きなくてはならない。
天音の弁は、一見不老不死を否定しているかのように見えますが、本質は別にあると思います。
何故なら、作中において、「不老不死=文明の進歩」が否定されてないからです。
歳を取る事は、死ぬ事は悪い事ではない。そういったメッセージは強く感じられますが、不老不死そのものに対する否定は感じられませんでした。(あくまで私個人の感想ですが💦)
つまり、嘗ての必死に生きていた頃を忘れる事なく、科学の進歩と共に歩んでいこう!
といってるんだと、私は思ってます(ほんとかよ笑)
最後に
いかがだったでしょうか。
正直、この「ランド」という作品は、様々な解釈が可能です。
それに、ここでは語りきれなかったテーマが幾つも存在します。
とにかく読んでほしいです!
この目まぐるしく移り変わる現代社会とどう向き合っていくのか。それを問うような作品でした。
では、今日はここまで