元々、行くつもりはなかったんだけどね。幸か不幸か天涯孤独となってしまった私には母ちゃんと呼べる実母と同い年の元同僚が居る。姉の初盆を前に母ちゃんから「あんたからお兄さん(姉の旦那)に連絡して、会って来なさい‼」と言われたのが7月中旬のこと。8月14日が姉の命日だけど、喪服を着て仰々しく会いに行くのは嫌だったから、時期をずらして義兄家族が住む中津へ今来ている。

 

 義兄の自宅は初めて訪れる。玄関を開けるなり子供たちの写真が飾られていて、子供の成長の早さを感じながら...それに負けじと姉の写真も飾られていて、あれから1年という歳月を拒んでいるかのようで、まだ傍で見守ってくれているような不思議な空間だった。子供たちの表情まではうかがえなかったけど、義兄からは片腕をもぎ取られたような悔いる想いと失って気付く母親としての姉の存在の大きさが言葉の節々から滲み出ているようだった。

 

 義兄に事前連絡した際、「弟夫婦と一緒に昼食に行きましょう。妻の幼少期のことは知らないので、来られた際に話を聞かせて下さい」と言われた。私に姉との良い思い出なんかないし、ガッカリさせたくなかったから若干オブラートに包みながら「雰囲気を壊さない程度に話させてもらいます」と返答していた。義兄だけに話すならまだしも、そこに子供たちがいた場合、下手なこと言って傷付けたくないよね、ここはありもしない嘘を盛るべきか...なぁんて色々考えていたら、昨日全然寝付けなくてさ。

 

 結局3時間程度しか眠れず、朝7時起き。ヨーグルトだけ食べて、いつものホットサンドを焼いて直ぐさま自宅出発。本日のホットサンドの中身は、焼きそば‼ん~安定の美味しさ。熱々のホットサンドを頬張りながら、約2時間のドライブ。母ちゃんに背中を押されたというのもあるけど、中津の隣町にラン友さんが住んでいるので、どっちが本命とは言い難いが天候次第でトレラン行っちゃうか⁉というもう一つの楽しみがあった。5日昼食は義兄&弟夫婦と食事会、夕食はラン友さんと食事、6日は近場でトレランというのが今回の小旅行の予定である。

 

 4人の子供たちは夏休みということもあって、自宅でゴロゴロしながらゲームをしたりじゃれ合ったり。長女はまだ中学生なのに身長が170cmあって、内心(これ次会うときは追い抜かれてるじゃんw)って少し驚いた。前回会ったのが葬儀の際だったから、その時に比べれば表情は柔らかく笑顔もあったけど...内心はどうなんだろうね。子供が苦手な私は挨拶して、一言話し掛けるのが限界だったよ。

 

 結局食事会は大人4人で郷土料理を食べに行くことに。余計な嘘で場を盛り上げなくて済んでε-(´∀`*)ホッ 義兄はご両親の自宅の隣りに家を建てていて、その逆隣りに弟夫婦が家を建てている。ご両親や弟のお嫁さんが子供たちの面倒も見てくれているようで、「神様は乗り越えれない試練は与えない」という格言を普通に目の当たりにした。私も生かされている部分があるし、そんなに驚くことではなかった。場合によっては運命にぶんぶん振り回されているわけだけど、多分どこかで「人生はこういうものだ‼あの時踏ん張ったから今の自分がある‼」と気付ける日が来る。頭の中でぼんやり、それが私の考える「試練の対象者の条件」かもなと。

 

 義兄は当分先だろうけど、大丈夫。直向きに生きていれば、いずれ運命は好転する。そう口には出さなかったけど、自分自身にも言い聞かせるように...昼食会は談笑が続いた。

 

 義兄の提案で食事会の後は中津市内を観光することに。中津に観光地なんて無いに等しいことは分かっていたけど、そこは義兄の気持ちを受け止めて、中津城や福沢諭吉記念館を散策。ほんの短時間でも義兄の優しさは伝わってくる。こんな良い人と姉がよく釣り合ったもんだなと思いきや、嫁姑騒動に始まり、夫婦喧嘩も絶えなかった様子。あの姉だけに、家庭内が年中暴風域だったのは想像できるけど、それを抜きにして早起きして子供たちの弁当を作ったり、何かにつけて子供たちの記念写真を残していたり、普通に熱心な母親を頑張っていたことを義兄が噛みしめるように話してくれた。

 

 食事や観光を済ませ、4年ぶりに近所で夏祭りがあるからと、その後も誘われたけど、(そこは水入らずが良いでしょ、子供たちとどう接したらいいか分かんないし)と内心思いつつ、「友人と食事の約束をしているので」とお断りさせてもらった。と言うか、私のカラータイマーは真っ赤っか(笑)夏場で胃腸が弱っているのか、はたまた慣れないことへの超絶ストレスなのか昨日から腹痛が治まらず、人見知りな私がほぼ初対面の人と一緒の時間を過ごすのは精神的にも限界だった。でも、また日を置いて会いに来ようと思った。去り際に「次回は一緒にお酒を呑みましょう」と義兄に伝えた気持ちは嘘ではない。

 

 ホテルにチェックインしたのが17時前、ラン友さんにLINEしてから暫し爆睡。18時半に中津駅集合でラン友さんの行き付けの小料理屋さんへ。カウンターに美味しそうに盛り付けられた料理を次々に頼んでは、延々食べ続ける。飲み会でのマイペース健在で、お腹の調子も改善⁉したかな。別々に来店したお客さんが酔いも回った頃に別のお客さんと話し出す。私はビールジョッキ2杯目を飲み干したところ、脳内クリア、エンドレスもぐもぐタイムで会話には加わらず(笑)そこは無礼講って奴なんだろうけど、他人のプライバシーに土足で入ってくるようでやっぱり苦手。年齢は?彼女は?と、私にも会話が飛び火して、二次会でスナックに連行されるところだった。面倒くさいなぁと。でも、女の子と食事なんていいなと隣りのテーブルをチラ見しつつ、オッサン同士他愛ない会話に盛り上がった。

 

 ラン友さんも子供のことで悩んでいるみたいだし、ちゃんと仕事しているようで内容は相当ブラックだったりで、絶賛現実逃避中の私なんかより頑張ってると思う。隣りの芝生は青く見えるものだけど、実際のところ体をなしているかは分からない。自分を取り巻く環境がどういう形を理想とし、どう妥協するのか...中々奥深な人生の課題だろう。時として崩れちゃうものだし。私は未だにバカを見ても正直で在りたい‼と思っちゃうタイプだし、柔軟に世渡りする技量が絶対的に不足していることを実感する。

 

 人の振り見て何とやら。つらつらと自分なりに解釈していくのは、ある意味私の特技かもしれない。自分に都合良くとは聞こえがよくないが、ポジティブに振れる意味は大いにある。日記は、自問自答。自答というより自解に近い...あぁそんな言葉はないよw 悶々と自宅に引き篭もっているより、多少のストレスがあっても他者と接する時間は良い刺激をもらえる。中津に来た意味はあったかな。若しかしたら絡んできた酔っぱらいのオジサンと意気投合して、新たな閃きや出会いが...恐らくなかっただろうね。

 

 昼食会の最中、母ちゃんに鱧料理の写真と一緒にLINEでメッセージを送った。程なくして「行ったんだ。いい子だ。大人なんだから。生きてることを楽しまなきゃ。」と返事が来た。私は「正直、生きたいのか死にたいのかもよく分からん宙ぶらりん。母ちゃんが連絡取って顔見せて来い!って言ってくれたから、そうなのかもなって思っただけだよ。何時でもお腹空かしてるから呼んでくれていいからね」と私らしく本音&図々しさ混じりで返信。「分かってる。ワイ 美味しいの作るから まっとけ」とのこと(笑)

 

 とても自慢できる人生は送っていないし、先のことを考えれば簡単に闇落ちしてしまいそうだけど、ま~今直ぐ放り投げるような人生ではないことは分かっている。義兄は姉の他界後、8カ月休職したらしい。私はいつ社会人復帰できるかな。とは言え、明日も明後日も、多分私は生きている。