最近、どうにも腰痛が酷くて痛みで夜中に何度も目が覚める。早い時は就寝して2時間後とかで、痛みで朝まで起きなかったら幸せだと感じる日々。仕事柄、夜勤をしていると生活リズムは狂いがちなので、夜寝れなくてもそこまで焦りはしないけど、やはり何をやっていても腰痛が伴うと生活全般でテンションは上がらないものです。

 

 腰痛がきっかけというわけではないけど、今の仕事を辞めることにしました。残りの勤務も10日間くらいで、来月は有給消化に入る。社会人になってここまで長い休暇は初めてだけど、そこは職を失う不安があるから大喜びはできない。ま~限界だった...続ける選択肢はなかったなと思う。これまで転職経験が3回あるけど、どの職場でも5年以上は勤務してきたのに今回は2年ともたず退職を決意する。

 

 職場に何の不満もない人の方が圧倒的に少ないと思うけど、私は不満というより自分を守る為に撤退すると言った方がいい気がする。勿論、不満はあるよ。労基に抵触するようなブラックな勤務形態とか、直属の上司が口数少なめで何でも察しながら仕事しないといけないとか、私が入職して20ヶ月間で派遣社員を除いて30名近く辞めている異常な離職率とか。関わった職員が次々に辞めていって、心にぽっかり穴が開いちゃう感覚にテンションダダ下がりだよ。ここで働き続けていると明確に寿命が縮んでいく感覚に陥る。

 

 両親や姉弟を亡くして、身内が居なくなったというのも大きいと思う。人の死に対しては寛容な方だったけど、それは冷静に物事を考える余裕がある前提の話。私生活の孤独感に加え、日々の業務に脳内は忙殺されて、突発的に冷静さを欠く自身の判断に不安は募っていった。自分らしくないなと思っている。「忙しいを言い訳にするな!」という上司の言葉は一見筋が通っているようで、張り詰めた緊張感の中で達成感を感じる暇もなく、足並みを乱すポンコツ社員の尻拭いまでしなきゃいけない。

 

 組織も私自身もコロナ禍を甘く見ていていたのではないか。高齢者を相手にする職業である以上、安易にコロナ陽性になって職場でクラスターを起こすことは大問題である。その点、私自身気を付けてきたものの、転職と同時に市内に引越してきた為、周囲に友人はおろか知人もいない。そこは趣味で友達を作れるだろうと思っていたけど、次々に変異株が襲ってくる中で、趣味友を探したいという想いより、行動を自粛する気持ちが先行してきた。

 

 昨年から何度も社内で陽性者が確認され、その度に感染対応を強いられる。勤務中はガウン、フェイスシールド、手袋に高機能マスク等で防備した上で、高齢者は感染拡大を避ける為に全員居室隔離で入浴もさせない、食事は紙皿紙コップという監獄状態。恐らく高齢者施設では珍しくない対応だと思うけど、自分が悪いわけでもないのにこんな扱いを受けたら、私だったら暴動を起こすだろうなと呆れてしまう。

 

 「社員は組織の駒である」、私は長年そういう気持ちで働いてきたけど、同時に社員に優しい職場環境の整備を訴えてきた。上記のような環境下で勤務する社員に対して、特別な手当てがあるわけでもなく、温かい言葉をかけるわけでもない。逆に他部署の上司に「大変だね、ハハハ」と他人事のように笑われたこともある。コロナ禍で入職した私に歓迎会なんてあるはずもなく、飲み会を開くこと自体タブーだった。それでも親しくなった同僚と密かに飲み会を計画したけど、その度に社内で陽性者が発覚して一度も飲み会を開くことはなかった。

 

 仕事上の相談をするにも、周囲はパートと派遣社員ばかり。責任が伴う正社員は夜勤と日勤リーダーを交代で務める為、正社員同士が同じ勤務になることは少なかった。相談に限らず、仕事上の愚痴を話す相手も居ないに等しくて、グッと我慢しながら職場と自宅の往復というループに楽しみなんて見出せるはずもなく。社内メールでのやり取りという手段はあったけど、業務改善の意見を一斉送信したところで、上司含めて返信は皆無。指示された業務をメール報告しても返信しない上司というのは、部下を何だと思っているのか。ボールを投げ続けても、一向にボールが返ってこないもんだから、疎外感しか感じられなくて単純にやる気が失せました。

 

 労基抵触に関して、直属の上司に言っても空返事だったから、最終的に組織のナンバー2にまで改善を訴えたけど、そこでも上手にスルーされた。聞いた話では過去にも同様の訴えをした職員はいたらしく、その度に同じ態度だったことから呆れて辞めた職員もいた様子。逆に見て見ぬふりしてきた同僚からは「上司に言えるなんて凄いですね!」と驚かれる始末。事務所前には「身体拘束ゼロ宣言」を謳っている一方で労基抵触を問題視しないというのは、外面だけのブラック企業です!と言っているようなもの。

 

 組織の長に当たる人はいつもニコニコ穏やかなようで役職者に対しては鬼の形相になるらしく、恐らく飼い馴らされているから口答えもできないんだろう。自分のお城を少しでも良く見せたいようで、暇があればカタログに目を通して改装や設備投資に余念がない。そのひと握りでも人件費に回す思い遣りがあれば、ここまで離職率が高い状態は避けられた気もするけど、当人は涼しい顔をして、焦りから顔が引きつっているのはナンバー2以下の役職者ばかり。前の職場の元同僚と話す機会があって、職場がクラスターで感染対応に貢献した職員(陰性で勤務)には5万円の慰労金が支払われたという。

 

 どこを切っても褒めるところはない職場だな。でも、中には直向きに働いている職員もいるだけに、こんな職場環境でストレスを溜め込む日々から私は戦線離脱してしまうようで申し訳ない。とは言え、前述の通り、私自身を守る為の撤退だと思っている。寡黙な父と鬱病の母という家庭に育ったこともあり、私のコミュニケーション力は高くない。そんな私が人見知り克服の為に介護という職場に飛び込んだ勇気を今でも誇らしく思うけど、何のために働いて、何のために頑張るのかという根幹が揺らいでいる状態がこれ以上続くと生きることさえ後ろ向きになってしまいそう。

 

 悩み事があると自宅のシンクをゴシゴシ、忘れた頃のトイレ掃除。老後は清掃員をやりたいと思ってきた。掃除や整理整頓をしていると気持ちも整理される感覚があって、冷静さを取り戻す機会になっている。まだバリバリ働ける年齢だけど、コロナ禍で人見知りや人間不信がぶり返したようで、自信喪失中です。もう仕事を選んでもいられないかなと思って、再就職の為の活動を進めていたけど、大海原でどっちを向いて進路をとっていいかも分からない状態はとても辛い。一年近く連絡が途絶えた元同僚にダメ元でLINEを送ったら、直ぐに電話が掛かってきて相談に乗ってくれることになった。

 

 こんな内容のブログでも惨めだなと思いつつ、もう我慢し続けても全然前向きにはなれないのだから、誰かに助けを乞うしかない。心の拠りどころが私には必要だと率直に思う。相談した元同僚は、前の職場を私より一年前に退職して独りで起業している。以前は公私ともに相談にのってくれていた間柄だっただけに、弱音を吐くだけでなく「仕事を手伝わせて下さい」という無茶なお願いまで行った。「先月と今月に一人ずつ雇うことになったから、人件費的に直ぐには雇えないけど。少し療養して、住む環境も変えた方がいいですよ」と久々優しい言葉を掛けられた気がした。

 

 一旦就職活動はストップして、数カ月療養する予定。現在の支出を把握する為に数カ月前から家計簿アプリを付けているけど、平均10万円未満での生活をしている。独り暮らしを始めた頃からの節約思考が染み付いていて、使い道のない預貯金を溜めているから、焦って直ぐに再就職しなくてもいいだろうという結論に至った。急に働かなくなったらグーダラ生活になりそうなので、生活に直結しそうな資格取得としてFPと登録販売者を独学することにした。後はコツコツ投資を実践しながら小銭を稼ぎたい。

 

 引越し先も、以前の住まいに戻ろうと思う。県内で10回近く引越してきたけど、坂道やトレイルが大好きな私にとって、やっぱり近くに山がなきゃ面白くない。筑紫野に住んでいた頃は天拝坂が夜ランの定番だったし、ウルトラに参戦できたのも四王寺山の峠道があったからだと思う。本格的にトレランにハマり出してからは、三郡山系や四王寺山にお世話になった。こんな精神状態な上に職まで失ってしまえば、女性との交際なんて絶望的だろう。せめて自分が笑顔になれる趣味に寄せて引越ししてもいいんじゃないかと思っている。

 

 今月下旬にも元同僚と食事に行く約束をしているけど、正直雇ってくれそうなニュアンスは社交辞令だったかもしれない。かと言って、焦って再就職したところで遣り甲斐や人間関係で悩むことは目に見えている。最低でもあと20年は社会人を続けたいという思いはあるけど、小さい組織でいいし、給料や休みも贅沢は言わない、自分らしさを見失わずマイペースに働ける職業に就くことを残りの人生の目標としたい。

 

 恥を晒しても生き続けてこそ。でも、まだ山には登れない。どうせ死に場所を選ぶなら、やっぱり山だよね!そんな阿呆な考えが1ミリでもある内は、山には足を向けない。人生に迷って、人間関係に疲れちゃった私にとって癒しの場所だから、やっぱり笑顔でゼーハー登りたいなと思う。愚痴や弱音は日記にアウトプットして、あとは前向きに生きる意味を探したい。