転職して4カ月が経って、仕事にも引越し先での生活にも慣れてきた頃、コロナ禍も一時的に落ち着いているので、お世話になっている元同僚の古希祝いを行ってきた。

 

 昨年実母を亡くして、私にとっては母親代わりのような存在であって、仕事を辞めてからも2カ月に1回程度、食事をご馳走になっていた。実母と同い年なので、生きていれば私の母も今月7日で70歳を迎えていたことになる。

 

 私は基本外食しないので、料理店を選ぶのは苦手だが、写真を見て雰囲気の良いフランス料理店を予約した。私の悪い癖は、このコース料理代で2週間は生活できるなぁって貧乏性が働いてしまうことだが、私も40歳を過ぎてお金の使い方は考えなきゃなと思っている。

 

 写真通りの雰囲気の良いお店で、母ちゃん(実際はそう呼んでないが、そんな存在という意味)も喜んでくれた。私は昼間に大盛りパスタを食べたものだから、ある意味ちょうどよく味わいながらコース料理を堪能できたと思う。あ~内心は「ご飯もの出てこないんじゃ、お腹は満たされないよ」って思ってました(笑)

 

 私が退職した4カ月間でも、色々トラブってる話が出るわ出るわ。どこの職場でもトラブルがない職場はないと思うけど、とてもまともに働ける状態ではなかった。私は自分の人生を優先させる為に退職という形をとったことを今のところ微塵も後悔していない。

 

 私が身を引いた一つの理由として、人間関係を整理したかった。自分勝手で、傲慢で、横柄で…こいつら何様なんだ?って職員が多くて、まともな精神状態で仕事に集中できない。指導職という立場だったけど、指導というより温かく見守るのが精一杯だった。我関せずで、マイペースに働けるほど無責任にもなれず、頭ごなしに否定してギスギスした職場環境も嫌・・・中途半端で自分にも嫌気がさしていたから、最終的には自分を救うための選択だった。

 

 とは言え、極悪人の巣窟という訳でもなく、みんな一歩引いてお互い歩み寄る気持ちがあれば良かったんだろうけど、人間余裕がないと自然と自己防衛に走るもので、自分の価値観を押し通したくなる。組織全体で末端の職員までメンタルケアできる職場環境を作らないと、誰もが未熟な価値観のまま自信だけ付けるものだから、半端者しか育たない。そして、残るのは不真面目な人間と身動きが取れない人間だけという。

 

 プロ意識を持てと言えば格好いいけど、公私混同するような職員は扱い辛いだけであって、それに本人が気付いていない。介護職は立場も給料も決して高くはないし、業務独占資格でもないので有資格でなくても働ける敷居の低い職業です。これから高齢社会まっしぐらなので、介護職は必要なのに世間一般では下に見られてる職業であることは否めない。私も介護の仕事は好きだけど、トラブルばかりの職場で働き続けることは別問題。法人の上層部はそのことに気付いてないのが一番の問題ではある。

 

 密かに送別会を開いてくれた後輩が「介護の仕事は好きだから、このまま働いて仕事が嫌いには成りたくない」と言っていた言葉にはすごく共感した。私は3回転職してる身なので、身軽に切り替えちゃう方だけど、誰しもそうではないから精神的に病んじゃうまで自分を追い込んで働き続けた同僚も知っている。コロナ禍も相まって、心の病を抱える人は多い。私も、あのまま働き続けてたら…と思うと本当に恐ろしい。

 

 母ちゃんから散々元職場の現状報告を受けて、「ちょうどいい時に辞めたでしょ?」と笑い話にしたけど、20代の若い子たちの将来が気にならないわけではない。そこまで慕われる存在ではなかったことを自覚してるけど、相談されたら真面目に将来のことを考えてあげたい。とは言え、誰も連絡して来ないけどね(笑)一応、LINEしてみたけど返事はないから、オジサンのお節介だろうなと思ってる。

 

 どう考えて、どう人生の選択をするかは本人次第。それをあれこれと酒の肴にするのは悪趣味だと思うし、自分の価値観で他人の人生に口出しできる立場でもないけども、傍から見ていてもっと別の選択肢があったんじゃないかな?とどうしても感じてしまう。人間の弱いところであって、それは簡単に埋めることができないものなのも分かる。

 

 こういう時に進撃の巨人の一場面を持ち出してしまう私。ケニーが死に際にリヴァイに語った「みんな何かに酔っぱらってないと、やってられなかった」という名言。それは生き甲斐であり、価値観であり、大切なものという解釈だけど、その後には「みんな何かの奴隷だった」と続く。自分にとって大切にしているものが、逆に自分を縛り付けていると考えたら、どうだろうか。仕事にしろ、結婚にしろ、契約であって人生を縛り付けることはたくさんあると思う。

 

 その契約や持論がプラスになれば問題ないんだろうけど、私はそうではなかった。離婚にしろ、退職にしろ、私は何度も自分を解放してきた。その根幹にあるのは、自分らしくありたいという思いだろう。金やキャリア、私の経験した結婚生活では、私らしさを維持することはできなかった。隣りの芝は青く見えるけど、私は未完成な自分と向き合い続けなきゃいけない。

 

 そして、死というのが一つの完成なんだろうなと私は思う。安易に死生観を話すべきではないと思うけど、そういうことも気軽に話せるのが母ちゃんだったというだけかもしれない。感情や経験が邪魔するものだけど、私はできるだけフラットに物事を見たいと思っている。いつからこんなに親しくなったか分からないけど、そう言うところが私に興味を持ってくれた理由なのかもしれない。お互い自分の言葉を否定することなく、受け留め合える関係というのは貴重だと思う。

 

 勤続うん十年で、家庭を持って、立派に生活している人たちは凄いとは思うけど、どうやら私の運命はそういう路線ではなかったようだ。結婚に育児に・・・私もそういう人生を送りたかったけど脱線してしまった。これまで何度も絶望してきたけど、何故か救いの手を差し伸べてくれる人はいたから、今日まで生きている。不思議だなとは思う。

 

 私は5年単位で転職してる可笑しな社会人だけど、5年後の人生の方向性について母ちゃんにだけは打ち明けた。疎遠の姉含め、親戚連中に頼る気もないし、身内がいないというのは相当心細いわけだけど、これと言ってしがらみもなく、またスタートラインに立てることは私の人生にしかできないことかもしれない。

 

 半年~1年に一回ペースで、ふと自分の頭の中を整理したくなる。出てくる言葉というのは、恐らく私の人生の歩みから滲み出てくるものであって、それを理解できる人は多くはないとは思うけど、あ~これでまた明日から気持ちを一新に気楽に頑張れそうだ。それだけ。