大して読む価値はないが私にとっては嬉しかったことなので、こっそり書き残しておこうと思う。

 

 Twitterでよく登場する職場のお母さん。私の母親と同じ昭和26年生まれなのにバリバリ働いている職場の後輩です。付き合いは、4年くらいだろうか・・・。元々、お総菜屋さんのマネージャーとして日本全国を飛び回っていたようで、和食に限らず多国籍に料理を振る舞ってくれる。一緒に夜勤に入ると必ず夜食を準備してくれて、私の胃袋は完全に掴まれたのだった。

 

※面倒な言い回しになるが、実の母親は「母親」、同僚は「お母さん」と言い分けてみる。

 

 お母さんは年齢的なものもあるだろうけど・・・流石に拘りが強く、仕事で納得がいかないと上司だろうと突っ掛かっていくので、一部の職員からは怖がられているんじゃないだろうか。その芯の通った考え方には共感できるところがあったので、職場では私が先輩、職場を出ればお母さんが人生の先輩という関係性が自然と生まれていた気がする。

 

 私は人生経験豊富な人の話を聞くのが好きである。その人生が本気であるほど、フィクションにはない感動はあって、それに触れられることは一つの幸せだと思う。お母さんが自宅に招いて食事を振る舞ってくれるようになったのは2年前くらいからだろうか。3児の母であり、壮絶な家庭環境であったり、休日返上で働いた数十年の軌跡を私によく話してくれる。

 

 余談ではあるが、私は趣味人間観察なので、他人の言動から感情や価値観を推測するという可笑しな趣味を持っている。周囲の会話は聞いていないようで聞いているし、見ていないようで見ている。ただ、私が他人をどう思っているか何てのを軽々しくは話すことはない。心理を読まれると、人って身構えるよね。故に私は気付いていない振りをすることが多い。

 

 ひと通りお母さんの武勇伝を聞いた後は同僚の愚痴が始まる。私は「うん、うん」と聞きながらも、それはこうなんじゃないの?私だったらこう考えるよ!と私なりの人間観察能力で意見を挟んでいくと、とても新鮮なようで感心してくれる。そうやって、30歳近い年の差がおかしなバランスで噛み合ってコツコツ信頼関係を築いてきたと思う。

 

 人見知りだから身についたことかもしれないけど・・・私にとって人との対話するというのは「相手の言葉をなぞりつつ、自分の言葉で返す」「常識にとらわれず、多角的な視点を持つ」「相手の言葉を自分の感情で受け止めない」という私なりのコミュニケーション方法がある。多少難ありな人でも、大概は受け止める自信がある。ただし、相手が私の言葉を受け止めるだけの器があるかは当然図る。

 

 その点、お母さんに対して気を遣うことは一切ない。上司の愚痴、母親の病状から恋愛事情まで何でも話して、それに対して意見をくれるし、それを私も素直に受け止める。私にとっては数少ない心を開ける相手であることに違いはない。

 

 前回のブログでも触れたことだけど、極最近やんわり失恋をした私に対して、お母さんなりに気掛かりだった様子。6月に食事に誘ってくれた時、私が意中の女性を唯一紹介したのがお母さんであり、その際に私を下手褒めしたり、子供を産んでほしい等、私が頼んでもないことをベラベラと喋ってくれて・・・私は恥ずかしくて隣りで失笑していた気がする(笑)母親目線なんだろうな、私は恋人だとは言わなかったけど「息子が彼女を連れてきたようで、蛍の光が灯ったような小さな希望を感じたよ」と今日明かされた。

 

 その後の状況を説明しつつ、「私は想いを伝えたけど相手は答えてくれなかった、ごめんなさい」と何故かお母さんに謝る展開になった。相手の女性がどういう性格なのかくらいは私自身しっかり見定めていたつもりだけど、恋は盲目にさせるからね。多少、不器用で守ってあげたくなる子の方が私には合っていると思って前向きに考えていたけど、あまりに変則的で掴みどころがなくて、私は感情が不安定になってきたので身を引くことにしたのだった。

 

 お母さんは60歳過ぎてから社交ダンスを始めて、仕事を終えてからも週3~4回公民館に練習に行っている。何度かダンスパーティに招待してもらったけど、年齢を感じさせない華麗な踊りに見惚れてしまう程。そんなお母さんのセンスを買って、先生から「今度はジャイブを踊ろう」と誘われたらしい。お母さん曰く、「ダンスというのは数分間で男女の恋愛を表現するもので、ジャイブは10代後半の男女が(あなたのことが好きよ!)って勢いでベッドインしてしまうようなイメージ」と説明してくれた(笑)うん、つまり若々しくて激しいってことだろうか!?

 

 年齢的にもジャイブを踊れるのは最後かもしれないと思ったお母さんは踊りの練習とは別にジムに通って筋トレをしているらしい。そんなに頑張る理由として、「(実の息子たちも見に来るけど)彼女を連れてあなたに見に来てほしいと思っていた」と涙ぐみながら言われた時は、ジーンと来てしまった。何だかなぁ、本当に申し訳ないことをしたと思いつつ、私はちゃんと想いを伝えたんだよって言い分けを繰り返しては「しっかり女を選べ!バカが!」と激励を受ける。

 

 お母さんは洋酒好きなので、お酒が回ってくると同じ事を繰り返し言うようになる。そして、「30年若かったら、絶対付き合ってるよねぇ。来世に同い年くらいで会ったら付き合おうね」と口説いてくる。お酒は入ってないけど、「そうだね」と私も答える。仕事だけじゃない、私が趣味のマラソンに熱いように、ダンスに熱いお母さんの生き様には共感できるものがある。年齢こそ離れているが、不思議な糸で繋がっていて、私の心の支えとなってくれている。

 

 私はマザコンのつもりはないが、お母さんを連呼している文章に「コイツ完全にマザコンだ!」と思われてもやむを得ないかもしれないが、それも笑いのネタとして良いだろうと諦めてみる。お母さんも過去に「どうしてそんなに生き急いでいるの?」と言われたことがあるらしく・・・私もどこかで今を必死に生きようとしているところがあって、捉えようにはそういう暑苦しさが今時の若い女性には敬遠されるのかもしれない。少なからず、一人の人として私のことが好きだと言ってくれる変わり者が傍にいてくれるのは幸せなことだと思っている。一応言っておくけど、当然肉体関係は一切ありませんよ(笑)

 

 二十歳くらいからブログは多方面に書いてきたけど、何だがタガが外れたような・・・。自叙伝と言える程の価値ある人生ではないけど、これを書き終えたら今日はぐっすり眠れる気がするから、もうどう思われてもいいやって気持ちなんだよね。