ブログなんてのは、暇人が書くものだと思う。はい、暇人です。

元々、20代の頃からブログはやっていました。言葉にすると気持ちが整理されるって感覚は誰しもあるでしょう。人に話を聞いてもらって落ち着くような感覚だろうか。

で、何で再開したのかというと・・・先日の研修の報告書をサラッと書き上げたら、研修に同行した上司から「凄いですね。読みやすいです」とお褒めの言葉をもらったので調子にのりました。あんまり、褒められるのは得意じゃなくて、寧ろけなされて這い上がる逆境精神でここまで生きてきたようなものだけど、まぁ、人生色々、幾つになっても新しい自分を見付けたいって気持ちは持っていたい。はい、そう言うことです。

かる~くハードル上げて、何だ大したことないなって思われても全然構いませんが、Twitterに紐付けしちゃったので、ランニングネタをたまぁに放り込みつつ、好きなことを好きなように綴る、それで私の頭の中がスッキリ整理されればいいかなと思います。

文章力をどうこう言える立場ではないけど、社会人に成り立ての頃は全国紙の社説を読み比べては、毎日ブログを書いていた。多分、今でも残ってるけど、恥ずかしいので内緒にしておきます。もうね、読み出したら止まらなくて、仕事中も上司の目を盗んで読んでいた。はい、窓際社員でした。

最初は事務系の職業だったから、パソコンの前での作業が多かった。入社当時は、温厚な上司だったけど、3年経った頃に学歴志向で「仕事の半分は酒を飲むことだ」が口癖の上司に代わってからは私の居場所はなくなったと思う。専門卒だった私に出張や大事な仕事の話は来なくなり、酒飲みやゴマすりが大嫌いだったので余計に上司から嫌われる存在になる。故に窓際で社説を読み漁る時間は沢山ありました。

今は趣味のランニングで変態ぶりが顔を出すけど、思い返せば前から変な奴だったなとは思う。もうね、社説を読み出したら止まらなくなってさ、地方紙や海外紙まで読むようになってた。全国紙なら、右から産経、読売、毎日、朝日とかが見えてくると面白いんだ。産経と朝日は対照的だから、基本真逆なこと書いてて、やっぱり自然と脳内は右寄りになってたね。右だの左だのというのは、右派左派、右翼左翼という話です。

朝日新聞の書いていることは、やっぱりどこかぬるくて、日本人の脳内がお花畑である一端を担っているようにも感じた。今は分からないけど。思想の違いであって、そういう価値観の差があることも構わないと思うけど、少なからず影響力があるからね。受け売りでも、知識として頭の中に浸透するものがあるよね。

何年くらい続けたかな。毎日2時間くらいかけてブログを書いてたから、いつしか疲れちゃって止めちゃった。でも、必要な時間だったと思うよ。少なからず、文章力を付ける機会にはなったと思う。でも、まんま社説の真似して、辞書引き直さないと分からないような語彙は使わないようにしている。仮に読み手が居たとして・・・読んでてすぅ~と入ってくるような文章がいいよね。理想ではある。

社説を読んでた時期に文化人の書物に目を通すこともあったけど、何だろう、結局は想像の範疇なんだよね。興味津々で手に取った本も、最後まで読み切ることなく本棚にしまってしまう。そういうのが割と多い。最近、知り合いに進められて購入した本も、まだ数ページしか読んでなくてさ。何かに染まりたくないのか、他人を信じてないのか、自己顕示欲の塊か。もし、読み終えて、参考になる内容だったら紹介します。

ブログの良いところは、ダラダラ書けるところ。でも、Twitterの140文字制限も嫌いではない。140文字に言いたいことを凝縮しつつ、ひと笑い入れたくなる。ブログでもTwitterでも大切にしていることは、ポジティブであることかな。愚痴を言ってスッキリする場合もあるだろうけど、それを大して親しくもない人に読み聞かせることにどんな意味があるのだろうか。私だったら速攻フォローを外すか、非表示設定だろうね。でも、自称人見知りの寂しがり屋なので、多少自分の気持ちを偽ってでも、「コイツ前向きだな、まぁ頑張れ」って思われたいんだろう。

さて、トレイルレース2戦目、修験道トレイル目前。まだ自宅に居ますが、ひと休みしたら出発しようと思います。トレランで怪我は付き物、これが遺書にならないことを祈るばかりです。半分本気、半分冗談。では、締まりのない自己満ブログをこれからもダラダラと書いていきたいと思います。