(自分のためのメモでもあるので、長いです・・ ^^;)
10月23日(水)午後 入院
午後からの入院なんで、午前中は大量の豚汁を作り、今日の晩御飯用のコドモたちのためのお惣菜を買ったりして、大忙し。ゆっくり湯船にもつかりました。
前とは方角の違う病室だけど、私は6人部屋の一番廊下側のベッドでした。
午後から仕事を休んで送ってくれた夫が一旦家に戻って、私はまた血圧高くなってたから気持ちを鎮めようとしてたら、現在この病院で働いてる 私の職場の元産業医の先生が病室を訪ねてきてくれました。
2度目の手術に向かう不安な気持ちをわかってくれた先生なので、先生の顔を見たとたん泣いちゃいました。
初め主治医からの説明は4時からと言われてたけど、緊急オペが入ったそうで、結局7時くらいになりました。
前ほどじゃないけど、やっぱり血圧高くなってました。
24日(木)
朝一番の手術。手術室入り8時10分だそうで、8時に、夫、主治医、担当看護師さんと一緒に病棟を出発。
手術台に上がって、すごく悲しいって思いがあるわけじゃないけど、なんだか涙がわいてくる。
すごく不安定だったんですよね。
手術室を出たのは12時10分。
(残っていた)右卵巣、卵管、子宮、大網の約1/2を切除。
病室に戻って4時過ぎまで酸素マスクでした。
酸素マスクを外されて、前回この場面で「寝返りしていいですよ」と言われて寝返りしたら吐き気がきたので、かなり心構えをして寝返りをしたけど、このときは大丈夫でした。
主治医は、私のほかにもこの日もう一人手術をしたそうで、その手術を終えた後、夕方様子を見に来てくれました。
ただ、今回はオシッコの管が妙に気になる。看護師さんは、傷の痛みと複合して感じるだけじゃないかって言って、背中に入ってる硬膜外麻酔を追加して押せば大丈夫と言われて、そうしてみたら、今度は吐き気がきました。
結局、オシッコの管に対しては座薬の痛み止めを使って、2時間くらい吐き気がして、実際2回くらい(吐くものないのに)吐いていた私は、「硬膜外麻酔の追加のボタンはとりあえず押さないほうがいいかも?」ということになりました。
25日(金)
ガスは前夜に出ていたので、朝から水分はOKになりました。
11時頃に歩き始め。 まずベッドに座って待ってるだけで、目が回るような感じがあったけど、ずっと寝てたからこんなものかと思って、耐えて、立ち上がり、歩いて、そのままトイレに行って、オシッコの管も外してもらいました。
ベッドに戻ると、倒れ込むようにして横になりました。
今考えると、これが前兆だったんですよね。
ベッドの角度を上下させるだけでも、なんとなく目が回る気がしたけど、これも、こんなもんだろう、くらいにしか思ってませんでした。
それでも、オシッコの管を外してもったから、自力でトイレに行ったりもしました。
1時半くらいに、元産業医の先生がまた顔を出してくれて、うちわの差入れをしてくれました。 病院はまだ暖房は入ってないけど、天気のいい日に窓がしまってると、病室はかなり暑いし、扇子だと風量があまりないし扱いに微妙に力がいるから「うちわのほうが便利よー」と。
このときまではにこやかに談笑できて、その後、トイレに行こうとして、何となく下腹部がおもーく感じるのが気になって、8月の前回手術でまるっきり問題なかったし、昨日は吐いたもの、今日は目は回っても「吐き気」は感じてなかったから、硬膜外麻酔の追加ボタンをついプッシュしちゃいました。
これが2時頃でした。
ここから一気に吐き気がきました。 自力のトイレからは戻ったものの、このあと18時間、26日(土)の朝の8時まで吐き続けました。
私の病院は、手術後2日目の朝までは絶食なので、胃の中はからっぽで、吐くのもつらいんだけど、それでも一旦吐くと少し楽になるときもあって、そんなときは1時間くらい寝たりもしました。
吐き気止めの点滴2回と座薬を1回使ったけど、それも効果なし。
トイレに行ける状態でもなく、オシッコはまたバルーンを入れてもらった。
前回と同じ麻酔薬だそうだけど、「どうして前は大丈夫だったのに、こんどはどうして駄目なの?」とそんなことも頭の中でぐるぐるさせながら吐いてました。
ガスは出ているので、イレウスではないだろうってことで、じゃあ麻酔の影響だろうと麻酔科のドクターを呼んでくれたけど、この日は手術がたてこんでいたらしく、麻酔科のドクターが来てくれたのは夜の7時?8時?
硬膜外麻酔の種類を変えてくれ「これで落ち着くんじゃないか?」って言われたけど、
深夜になっても吐き気はとまらず、
でも薬も使い切ってしまってこれ以上は使えるものがないから耐えるしかないんだと。
あまりに はあはあしてて. 過呼吸疑われて口にビニール袋あてがわれたり
逆に 鼻から酸素を入れられたり (顔に余計なもの くっついて 余計に吐き気が増しました。どっちも)
それでも吐き続けて 心理的なものじゃないかって言われて 何か不安はないですか?心療内科とか行きますか? って。
そりゃ不安はこの手術だけど そういう問題じゃないと思う。
、
深夜になり うるさくて周りに迷惑なので、(個室は空いてなく)ナースステーションにお預かり。
大き目の地震が午前2時過ぎにあったけど 自分自身が揺れてるようなもんだから それどころじゃないし。
結局3時に睡眠導入剤をもらって、このときだけはものすごーく頑張って吐くのを我慢してるうちに、なんとかうとうと。 3時間まではいかないけど、2時間超は寝られたと思う。
朝の6時に病室に(ベッドごと)戻されて、最後に吐いたのは8時でした。
26日(土)
病院の外は,台風の強い雨がけっこう降ってたことも知らず、結局18時間吐き続け、朝の8時に最後に吐いたあと、まだすっきりしないけど、ここで眠りに落ちることができて、これでだいぶ楽になりました。
昼前には歩く元気も出て、オシッコの管も抜いてもらいました。
昼から おもゆが始まったけど、口をつける元気はなく、イチゴミルクのパックだけ手元に残して 少しずつ飲みました。
午後は爆睡。 様子を見に来てくれた主治医も、見舞いに来た夫も
声をかけるのもためらって 引き返したそうです。
夕方には、前回も来てくれた職場の先輩がお見舞いに来てくれたけど
今回はベッドに寝たまま話をさせてもらいました。
その途中に 夕飯のおもゆやスープが届いたけど、まだ2口くらいしか口にできなかったかな。
夫は改めて夜に来てくれました。
27日(日)
金曜に大騒ぎしたことを 同室の皆さんに「うるさくて申し訳ありませんでした」と謝って回るくらいの元気は出てきました。
午後にはだいぶ調子を取り戻して、今回の手術を心配してくれた友達なんかに携帯でメールすることもできるくらいに回復。
やっとシャンプー。 前回は木曜手術という同じ曜日の推移でありながら、
土曜にシャンプーを自力でしたけど(看護師さんに声かけたら「どうぞぉ」って言われて、当然自分でやる流れだったので、自分でやった)
今回は看護師さんが丁寧に気持ちよく洗ってくれました。 ドライヤーは自分で。
28日(月)
土曜日に主治医が来てくれたのも知らずに眠りこけていた私は、手術日以来の主治医との対面。
吐き気が止まって以降は順調に回復してることは主治医はもちろん知ってて、夕方に若い医師を伴ってきて、おなかのドレーンと硬膜外麻酔を抜いてくれました。
(おなかのドレーンは、前回 退院後も出血がひどかったので、そういうことがないようにと着けたそう。コドモの握りこぶしくらいの袋に 2ー3回いっぱいになるくらいに出血はしてたかも。 1日ごとに看護師さんが袋を空にしていったから、総量はわからないけど。
退院希望日を聞かれ、「1日でも早く」とお願いしたら、水曜に血液検査と退院前診察で、木曜(10/31)退院というスケジュールを考えてくれました。
(細かい話ですが、健康保険の限度額の計算は月ごと、という話を聞いていたので
10月中に退院したい思いもありました)
この日は病棟棟外に出てもよくなって、売店までは行ったけど、吐いた影響が残っているのか、自分に体力がないのを痛感しました。
体に付いてる管がなくなったからシャワーもOKなんだけど、そこは自信がなくて、翌日に回しました。
29日(火)
11時にシャワー。 湯船の下のほうにお湯をはって、足湯状態にしてあったまりました。
前回は、月曜にはもう院内カフェの偵察に行ったりしたけど、とてもそんな気力はなく、ようやく火曜の午後になって ぼちぼちと動き始めました。
30日(水)
朝一番に採血。
職場の元産業医の先生が、また顔を出してくれました。 すごく前向きな相槌を打ってくれる先生で、大好きです。
主治医の退院前診察は、最初看護師さんは「夕食前には来てくれると思いますよ」って言ってたけど、結局ほかの病棟でのお仕事が終わらないそうで、
主治医に会えたのは夜の9時半でした。(もう消灯時間も過ぎてました)
診察と、今回の手術についての全体説明、今後の見込みについての説明。
それと。
私の職場からは また(無茶な)診断書を求められていて、それは「11月中に職場復帰が可能かどうかについての診断書が11/8までに欲しい」という要求。
(病気休暇の目安は日曜祝日を含めての計算で、連続90日だから、それを超える部分をどう処理するかの検討をしたいとのこと。 11月中に復帰できるなら、病気休暇が切れる11/19以降はたまってる有給休暇で処理してくれるらしい。 12月以降も休むなら、11/19以降は病気休暇ではなく、休職の扱いにするとのこと)
主治医に相談したら、
(休職になるといろいろ面倒らしいので)「11月中に復帰したい」という私の意向をくんで、
また11/8前にわざわざ病院に来るのも大変だからということで、
この退院時の機会に 「術後1か月検診は11/25の予定であり、それまでは自宅安静療養が必要。それ以降は仕事に復帰することは可能と思われる」と
1か月も先の見込みについての診断書を書いてくれました。
ただ、今回は卵巣だけでなく、子宮も取っているので、くれぐれも無理しないようにとのこと。
入浴や自転車は1か月は駄目と。(シャワーはOK)
手術時の傷を覆って貼られていたテープは、退院前診察時に別の種類のテープに貼り替えられていて、そのテープは1週間したら取っていいとのこと。 (で、その後は3Mテープを貼る)
31日(木)
午前中にめでたく退院。今回は独りで帰宅。
職場にとりあえず退院報告をして、人事課に診断書をファックスしたら
さっそく検討してくれて
11/25(月)術後1か月検診の後、
11/28(木)に(非常勤の)健康管理医との面接
11/29(金)から復職
というスケジュールが昼前にはもう提示されてきました。
2週間とか病気で連続で休むと、健康管理医との面接なしには復職できない決まりがあるそう。
でも、うちの職場にはもう常勤の産業医はいないので、どんなドクターと会うのかわからないんだけど
11/29(木)に会うのは、精神科の先生だそうです。
うーむ・・・
(精神科の健康管理医と会う予定なのは、私が精神的に不安定だからとか、そういう配慮からではないと思われます。
聞くところによると、私の職場は、常勤の産業医の制度をやめた後
非常勤の内科医と精神科医各1人ずつと契約したそうです。
毎年4月更新で、同じ人の継続でもないそうでが、今年契約してる医師は、内科医が男性で、精神科医は女性だから、 婦人科系の病気の私の復帰面接については 女性医師との面接を予定したみたいです。)
午後は リビングに用意してもらってあった布団でごろごろしてました。
・・・・♪♪♪・・・・
2度目の今回の入院&手術がつらかったのは
「前はこうだったのに・・・」という思いがついつい浮かんで、余計につらかったような気がします。
吐き気にしてもそうだし、
主治医との関係についても、前は主治医(だけ)とたくさん話ができたのが、今回は若いお医者さんも常に一緒で、抜糸のときとかも その先生への指導を主治医はしてるから、主治医とあんまり言葉を交わす間もなくて。。。
土曜日に爆睡してて 主治医が来てくれたことに気づかなかったものだから、それを知るまでは
「前のときは、木曜手術で、土曜も顔出してくれたのに、今回は月曜まで来てくれないのか・・」って、ちょっとだけさびしい感じを思ったりもしました。
前回より回復が遅いのも、自分自身の実感としてあります。
2回目って、前の経験があるから安心、 ではなくて
「前と違うー」って思いは 余計に大変さを膨らませた気がします。
私が 後ろ向き思考なだけかしら・・・?