こんにちは。元保育士のあもっちです。


今日ママさんが子育てでつまづく、


悩みをなんとか軽くできないかと思います。



結論としては、私自身が八年前になぐさめてもらった言葉



子育てがうまくいったかどうかなんて自分が死ぬ前にわかるものじゃないかな


といわれて、八年後の今そうかもなあ。なんておもっちゃいました。遅っあせる



保育士とはいっても、母になるのは初めてです。


子供たちはお母さんたちが先生、先生とよんでくださってはじめて


子供たちに慕われていくように思います。感謝です。



私も10年子育てをしてきて、いろいろと迷ったりしました。どれが子供にとって最適な選択なのか。



なんといっても保育士のころいつも感じていたのは、どんなに一緒にいる時間が長くても


やっぱり一番はお母さん。保育士にみせている顔はどうしても外で頑張っている顔。



実際、家庭訪問をしたら、子供が外とうちと性格や態度が違うことが多いです。


同じの子もいます。当然千差万別。


つまり、保育士として働き、経験と知識を得ても、母としては新米に変わりはないのですね。






だっこのしかた、沐浴、寝かしつけ、離乳食の作り方、量、標準的なことは一通りできますが、



子供の性格、精神面と病気や体力に関しては一切はじめてづくし。



しかも病気だったり、症状がでるくらい極端に行き渋りだったり、


男の子に一人で立ち向かうような女の子だったり、



一般的な育児書やママ友情報、今までの経験もなんの役にもたちません。



でも突発性難聴になって、倒れちゃったときに気づきました。



自分がにこにこしていられないほど子供のため、子供のためと必死にやることはない。


ということ、迷った時は自分がにこにこでいられるか冷静に考えてみたら結構すぐに答えが見つかります。



たとえば、子供の体力作り、夜の熟睡のためとがんばって散歩に連れ出しても、本当の自分は休みたい。と思っているかもしれません。


その感情を無視してまで散歩に行ってもイライラママとさんぽする子供は楽しくないし、返ってからも疲れ



てイライラならなおさら。子育ては確かに体力精神力がいります。この時期にこの事柄をしつけしてみにつけさせなければと思いがち。



でも必死にやればママがたおれます。必死という言葉は必ず死ぬ…・きゃー叫び



だから、何にたわっていいか分からなくなったら、自分がウキウキする楽しめる方を選んだらいいのかも。


と思うようになったんです。




この楽しめることは、子育てで行き詰った時にも、仕事、人間関係で煮詰まったときも立ち直るために経験上役に立っている気がします。これはまた後日書くとして。



あと子供への接し方が自分が子供のころのしつけかた、そして保育士となったときのしつけ方、今母となって10年たった時のしつけ方がまたちがってきてるのをご存じですか?じゃあどれをしんじればいいんですか?って笑えますよ。これもまた後日、書きたいと思っています。


明橋大二先生の本だったでしょうか、立ち読みであいまいな記憶ですが、確か、


親が子供をしつけで変えられる?のはたったの10%、あとは環境と遺伝(自分の後ろに永遠とつながっているご先祖様からうけつがれたもの?)と書かれていたような気がします。



こうなると、なーんだと必死にやらなくていいんだぁ。せっかく一生に一度の短ーい子育てを楽しもうと思ってもいいんだぁ。と私は思いました。実際女の子なんか、早い子は二年生くらいで同級生のお母さんたちに敬語みたいによそよそしくなっちゃいます。

四年生になれば父親を疎ましくなり始める子も多いです。もうチューとかムギュッとか抱きしめたりできなくなります。


子育てに迷ったら、自分の気持ちを信じる、これでいいのだー。と思うようになりました。


また、お会いしましょう。


最後まで読んでくださってありがとうございます。ニコニコ