YOSHIKI、「未だにうなされる」幼少期の苦悩を初告白で涙 | †sadistic†~Ⅹ~

†sadistic†~Ⅹ~

XJAPANのUNOFFICIAL BLOGです☆
メンバーのこと、LIVEレポなど書いています。

10歳で父が自殺…YOSHIKIが“幼少期の記憶”を涙の初告白 故HIDEさんについても


X JAPANのリーダー・YOSHIKIさんが、3月30日放送のTBS系「中居正広のキンスマスペシャル」(後8:54)に出演。「思い出すことも怖かった」「いまだにうなされる」という幼少期の記憶について、涙ながらにテレビ初告白します。

 YOSHIKIさんは1960年代後半、呉服屋の家に長男として誕生。幼い頃から病弱だったYOSHIKIさんに愛情を注いでくれたのが、元プロタップダンサーの父でしたが、YOSHIKIさんが10歳の時に自殺。以来「なぜ僕は生きているのに、父は死んだのか」と考えるようになったといいます。

 番組では、つらい感情を吹き飛ばしてくれたロックとの出会いや社会現象となったX、その後のベース・TAIJIさんへの解雇宣告、Toshlさん洗脳騒動、X JAPAN解散、HIDEさんの死、などについて語られます。

 また、YOSHIKIさんが涙ながらに「ENDLESS RAIN」を披露します。

詳しくは↓

Yahoo!ニュース


YOSHIKI、「未だにうなされる」幼少期の苦悩を初告白で涙


ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIが30日に放送されるTBS系『中居正広のキンスマスペシャル』(後8:54)に出演。在住するアメリカ・ロサンゼルスからやって来たYOSHIKIがインタビューに応じ、「思い出すことも怖かった」「未だにうなされる」という幼少期の記憶について詳細をテレビで初めて告白。病室に閉じこめられていた少年時代と父を失い封印したつらい感情を涙ながらに語る。そしてそれらすべてを吹き飛ばしてくれたロックとの出会い、X JAPAN・HIDEの死、幼なじみであるToshlの洗脳騒動など自らの人生を振り返り最後にはスペシャルライブも披露する。

 1960年代後半、呉服屋の長男として裕福な家に生まれたYOSHIKIだったが、幼い頃から病弱で入退院を繰り返していた。そんな彼に愛情を注いでくれた元プロタップダンサーで音楽に精通していた父が10歳の時に自殺。突然の出来事を受け入れられず、母や親戚に当たり散らした。以来、「なぜ僕は生きているのに、父は死んだのか」と大好きな父の後を追いたい気持ちから小学生ながら死に方についての本を読み漁っていたという。

 そんなどん底のYOSHIKIを救ったのがロック。幼なじみのToshlと小学生ながらにバンドを結成。これがXの始まりだった。1986年にはYOSHIKIの誘いでギターのHIDEも参加し、伝説のバンドへとスターダムを駆け上がる。HIDEが「X をやっていたのはYOSHIKIの魅力によるところが大きかった」と語る当時の肉声も公開される。

 そして、日本の音楽シーンをのぼり詰めたX はX JAPANと改名。しかしその後、数々の悲劇がYOSHIKIを襲うこととなる。ベース・TAIJIへの解雇宣告。世界レベルを求められながらも思うように言葉の壁を超えられないToshlは洗脳団体と出会い、そして脱退、X JAPANは解散。その時、「新しいボーカルを見つけたらまたX を再結成して、全米デビューを果たそう」としながらも5ヶ月後にこの世を去ったHIDEとの別れ…。

 激動の人生を振り返り、スペシャルライブではバンドの再結成を願った気持ち、リーダーとして語った全てのことを音に乗せ、涙ながらに「ENDLESS RAIN」を奏でスタジオの涙を誘う。そしてそんなYOSHIKIの魂溢れるパフォーマンスに心を揺さぶられ、中居正広が思わず口ずさむ場面も…。今なお、日本だけでなく海外で挑戦を続けていくYOSHIKIがテレビで初めて語る自身の物語とは。

詳しくは↓

Yahoo!ニュース