詩を歩く

ここのところ、「眠り」の詩をつづけた。

自分という、一人の人間としては、
眠るということが、幾分古代的なニュアンスでは
あるが、<再生>を意味するのでは‥と
遺伝子の記憶のような直感で思う。

でも、子供のことを考えて書くと、眠りは、
子供に必要な成長のつづきの時間だと感じるので、
そのような言葉のつらなりになる。

それで、眠りについての詩の内容が、真反対のような
ことばになる。
<再生>と、<成長への信頼や希望>は、近いようだが、
ベクトルの指し示す方向は違うように思う。

こういう時、自分の中の、まとまりのつかない分裂した
感覚に驚くが、だが、人間の脳には、いつも二つの方向
があるようにも思う。
相反するものが共存しているというのは、あたり前なの
かもしれない。
アンビバレンツを否定しないで、その振り子の振り幅が
大きく揺れるほど、きっと、真理というものに、
近づけるのかもしれない。