石丸伸二伸二安芸高田市長覚え書き③ | 夜半の月

夜半の月

常ならむ 此の世と言えど あまりにも 想いはただに 夜半の月とは【自作】

徒然なるままに、医療や法律や経済や和歌などや音楽や映画やツーリングやエビアクアリウムについて書いて行こうと想います。研究者の目から見ての大学や受験についても書きます。

 

ところで我々ソクラテスメソッドで鍛えられる京大系の法学部や経済学部出身者の間では一言で相手を潰せないと評価は低くなります。こんだけ言葉弄さないといけないのはね。それと事実に基づいて弱者には優しくなれないとダメですね。京大系ー社会経済学系ーでは随分浮いてたでしょうね。友達も学生時代からの支援者がいないって相当ですよ。

 

さて我々のような学歴のモノからすると支持者の方々と違い民間就職の時点で能力は決して高く無いと評価するのが常識だ。

では彼の経歴を見て父と親戚がメガバンクで働いていて父は一応メガバンク本店で幹部までなったがその時に訊いた内容を基準として評価していきたい。

先ず彼は三菱UFJ銀行に就職して姫路支店に配属される。

 

都銀では使用人兼務役員

 

 

が支店長のS級と後は扱い高と規模でA〜C級が有るが、見たところB級クラスで評価はあまり高く無かったのかな。都銀は基本的に法人営業で個人営業はしない。個人の大口客はみんな税法の関係で法人成りしてるので本店営業部扱いか一部特殊な地銀や信用金庫を除いて個人営業はしない。

銀行の評価方法は基本的に預金の集金力と融資の健全性と契約高と情報収集能力で期待される予算などを達成出来ないと営業から外されて公務部などへ移動か子会社出向となる。彼は期待に答えれ無かったようで行内移動は無く若くしての出向となっていて基本役付きか公費留学で無いとゼロ評価なので片道切符となる。つまり2度と三菱UFJ銀行には戻れない場合が多い。

ウチの父は田舎国立大学出身だったので最初は田舎B級クラス支店から始まって次の移動で使用人兼務役員支店長の支店経由で本店営業部へ移動して、その後移動は出納と主計と融資と営業部内だけになって弟子が取締役になった時に幹部へとなった。

ウチの従兄弟はマトモな国立大学だったので使用人兼務役員支店長の支店からニューヨークへ公費留学からニューヨーク支店勤務で本店に移動して企画から幹部になったけどそれから見るとエリートには思えない。

こうなるのも宜なるかな。