前項の続きっぽい話 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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(1) 讃美歌21 532「やすかれ、わがこころよ」多重録音 - YouTube

 

 この間ある人とやり取りしていて、「この讃美歌はフィンランドの作曲家シベリウスの『フィンランディア』の後半の旋律に讃美歌の歌詞を乗せたもの」「十九世紀末、帝政ロシアの圧迫に戦々恐々としていた同国民を励まし、勇気づけるために作られた愛郷の曲」と解説を加えました。

 書いていて気がつきました。どうしても「愛国」と書きたくないことに。

 

 

 ちょっと前、「『大阪大好き』『関西大好き』と言ってもヤバイ人ではないのに『日本大好き』と言うとヤバイ人っぽくなってしまうのはなんでか」みたいなことを書き殴っていたんですが、この方が答えを出してくれました。べつにあたしに対して答えてくれたわけじゃないですけどね。

 

 

 つまり「『大阪大好き』『関西大好き』はパトリオティズムだが、『日本大好き』はナショナリズムだから」「日本だと『愛国』という言葉が後者の意味で使われがちだから」「明治政府がそういうキャンペーンを張ったから。ほんとに明治政府はロクなことしやがらねえな」ということか。

 

 以上のようなことを前提とした上で「あたしは日本が好きかどうか」考えてみると、「大阪大好き」「関西大好き」と同じニュアンスで、同じくらい日本も好きなんですね。外国に行ったことがないせいか、自分の国が好きかどうかってあんまり考えたことがなく、考えたことがないから言ったこともないんですが、いざ考えてみるとやっぱり好きなのです。

 あたしの「日本大好き」はパトリオティズムであって、一部の人の「日本大好き」とは質が違う、ということなんですね。

 でも誤解されそうだからやっぱり「日本大好き」とは言いたくないやw

 

 すると「パトリオットミサイル」というのは「愛国者ミサイル」という意味ではなくて、「郷土愛に溢れる人ミサイル」「郷土思いの人ミサイル」という意味なのか。

 つまり吉本新喜劇が大好きな関西人みたいなイメージなのか。

 

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 それも気持ち悪いな。

 吉本新喜劇が嫌いな関西人もいるのでもちろんジョークですけど。

 

 「君が代」も「自分のご先祖様に感謝する」という気持ちで歌ったらどうか、と言う人がいます。

 言わんとしていることはわからんでもないんですが、でもやっぱりあたしはそれは嫌なのです。「君が代」の「君」というのは天皇のことだとしか思えない、それ以外の解釈はないと思いますし、天皇や天皇家はうちの先祖ではないし、もちろん日本の国は天皇のものなんかではない、天皇だけの日本ではないし、あたしは天皇なんかいなくていい、皇室は今すぐ廃止してほしい、「千代に八千代にさざれ石の苔の生すまで」続いてほしいなんて少しも思わないからです。

 「日本の国歌だから愛唱しないといけない」「尊重しないといけない」というのはおかしいと思います。そんなことを主張する人は「日本の憲法だから愛唱しないといけない」「尊重しないといけない」と言われてそれを守ってるんでしょうか。どっちかというと国歌なんかより憲法の方が大事だと思いますけどねえ。

 ついでに思想・良心の自由は誰かの嫌いな日本国憲法が保障しております。べつに自分の国の国歌を嫌ってもいいし憲法を嫌ってもいいのです。

 

 

おまけ:これも気持ち悪い。

 

撮影:名倉マミ

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 大阪は好きだがこいつが好き、こいつの率いる政党が好きとは言ってない。

 なんばグランド花月近くの土産物屋にてこの光景を目にして、学んだばかりの概念を思い出した。ナショナリズムとパトリオティズム。