弟子が見つけなきゃ「銀河鉄道の夜」ってこの世になかったんだよな | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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哲学にこんな議論がある
無人島で大木が倒れたとする
その時、誰もその倒れる音を聞く者がなかったとしたら、音がしたことになるのだろうか?
(動物は聞いてるだろってのはなしよ)

歴史上の名立たる文学者たちと比肩する偉大な文学作品を書き上げていた者がいるとする
しかし彼(彼女)がその原稿を抽斗にしまったまま、誰にも読まれることがなかったとしたら、
彼(彼女)の死後はゴミに紛れて焼き捨てられてしまっていたとしたら、
その作品は存在したことになるのだろうか?
文学作品としての価値があると言えるのだろうか?

「そんな価値のある文学作品が発見されない筈はないだろ」というのはおかしい
我々が観測、検証し得るのは発見されたものだけであり、
発見されなかったものは観測、検証のしようがないからだ

 

 

ツイッター始めました

名倉マミ(@xingling0408)さん / Twitter

 

 そういえば「銀河鉄道の夜」は原稿が一部欠損してて読めない部分があるんでしたっけ。

 あれは賢治の死後にお弟子さんたちが(運よく)見つけて出版したやつなんで。

 「雨ニモ負ケズ」も賢治がたまたま手帳に書き殴ったような代物で、今や多くの日本人があの詩を愛唱していると知ったら賢治はさぞや照れるんじゃないだろうかと思いますが。

 

 このブログやその他の所に書いた昔の記事を漁っていると、結構ツイッター向きなのも多いんですな。

 そういうのも折を見て載せていきます。気に入ってるものは何回も載せます。

 

 昔活動していた労働組合の同志から「名倉さんの日めくりを作ったら?」と言われたことがあります。

 紙の日めくりか~いいな。需要あるなら作りますけど。

 

 

今日の格言 

「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」 

 

※使用上の注意 

自分を認めてくれない社会への恨み言には使えません。

使用に当たっては謙虚な心がけが必要になります。