「必殺仕事人」、死刑制度、復讐の話 続き | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 時代劇「必殺仕事人」シリーズで、中村主水やその後継者とも言える渡辺小五郎(東山紀之)はよく、
 「自分たち自身も悪であり、いずれ往く先は地獄である」
 と自覚していることが明らかな台詞を言います。

 彼らは自分たちのことを善だとか、正義だとか思っていないのです。そのような発言をするメンバーがあれば厳しく戒められる場面もあります。

 それだからこそ、多くの人に共感され、長らく愛されるのだと個人的には思います。

 もし仕事人が地獄行きだというのであれば、現代の法務大臣や刑務官、つまり現代日本において、死刑執行命令書に署名捺印をしたり、死刑執行をしたりする人も地獄行きだということになります。
 「そんな無茶な。『必殺仕事人』はフィクションだし、おまけに(一応)江戸時代の話だということを度外視しても、その両者は全然違う」

 と思う人があると思います。

 

 どこが違うのでしょうか。

 仕事人が依拠するのは自分たちなりの倫理観であり、法律で裁けない、しかし紛れもない邪悪な行為(殺人)の為し手を殺害します。
 法務大臣や刑務官が依拠するのは現代日本の法制度であり、法律に従って、法律に背いた邪悪な行為(殺人)の為し手を殺害します。

 

 両者に共通するのは「業務として(報酬を貰う仕事として)人を殺害する」という点です。もちろん官民の違いはありますけれどもね。
 また「被害者の恨みを肩代わりして、復讐として加害者を殺害する」という仕事人の性質を、法務大臣や刑務官(というよりも、現代日本の死刑制度)はある程度持っています。

 本当はそんなことはどこにも書いてないですが、ほとんどの人が死刑制度に対し、「そんなものだ」という意識を持っていると思います。だから光市母子殺害事件被害者遺族の本村洋さんに共感が集まり、彼は世論を味方につけて自分の願いを叶えたわけです。

 さて、
 「どんな理由があろうと、人を殺すことは悪なのだ」
 というのが閻魔大王様の倫理基準だとしたら、やっぱり死刑の執行をした法務大臣や刑務官は地獄行きです。

 「そんな馬鹿な。死刑は現代日本の法制度で認められていて合法だ」

 「法務大臣や刑務官は仕事だから、しょうがなくやっているんだ」

 と思う人があるかも知れませんが、現世の法律は通用しないのです。相手は閻魔様ですから。

 もしかしたら死刑確定判決を出した裁判官も地獄行きかも知れないですね。
 「必殺仕事人」の頼み人も地獄行きだとしたら、本村洋さんも地獄行きかも知れません(彼の場合ですと、断固として自分が「善」であり「正義」であることを主張すると思いますが)。求刑するのは検察なので、死刑を求刑した検察官も地獄行きかな。
 つか「必殺仕事人」のようなフィクションと現実を一緒にして、死刑制度に熱狂的に賛成する人はみんな地獄行きかも知れません。

 といっても、あたしは以上のようなことは思っていません。
 そもそも地獄なんかない、誰もそこに往かないことを知ってるので。

 それと、あたしは死刑制度に反対で、「必殺仕事人」シリーズが大好きです。

 

前項の続き | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

 

 地獄というのは、紛れもない邪悪な行為(殺人とは限らない)の為し手が法律で罰せられない、彼や彼女にちっとも罰が当たらない理不尽さに耐えるために、昔の想像力豊かな人が作り出したファンタジーです。

 昔、お寺で地獄絵図を見た時に、屏風の前に座っていたら涙が出ました。
 「こうじゃないと納得できないだろ!!」
 という昔の人の叫びが聞こえるような気がしたのです。

 昔の人はこうやって心のバランスを取りながら生きていたのです。

 

稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究 (samzense.blogspot.com)

 あたしは知っています。

 地獄はありません。

 でも、カルマはないことはないみたいです。

 

 

※あたしの言ってることがちっともわからないけど興味はある、という人はリンク先を参照してみて下さいね。