与謝野晶子やは肌論争・ファイナル | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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【過去記事の再掲載です】

 

前回までの概要:名倉の友人が好きでもない男性から与謝野晶子の「やは肌の熱き血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という短歌を贈られて困惑。「こんなん、女から男に贈るからいいのであって、男から女に贈られたら気持ち悪い」と一蹴。

名倉「では男性からの女性に対するダイレクトな欲望を表現した作品はどうか?それを男性から女性に贈るのはどうか?個人的には好きだが、やはり『イケメンに限る』『相思相愛に限る』である」

 

 与謝野晶子の歌を男女逆転させるとこんな感じになるのかな(五七五七七になってないのは勘弁して)。

 

 「お高くとまって哲学風味の議論なんかぶっこいてても、所詮はおまえも女なのさ。今夜も寂しく独り寝か?人肌恋しくならないか?一遍俺に抱かれてみないか?」

 

 クサ(^_^;)

 でも、特に80~90年代くらいのポップスによくありそうな気がしません?

 

 やはり、イケメンじゃなかったら、またある程度こっちにもその気がなかったら殴りたくなりますが(-。-)y-゜゜゜

 

 

 そうそう数ヶ月前、ある官能小説家の青年とサシ飲みしました。

 「俺はエロ作家の矜持に懸けて、『あたしはパウロなの』とか言ってる女を口説き落としてみせる」

 「君ももの書きだろう。本当に文学者として大成したいなら、古いパターンやつまらないポリシーを打ち破って、その向こうにある新しい世界を見るべきだ。つまり、俺と寝るべきだ」

 と言っていたんですが、べつに好きじゃなかったのでお断りした所、彼は怒って帰ってしまいました。

 

 バス停の前で、

 「主の平和~」

 とクリスチャン式のご挨拶をしてお見送りしました。ハレルヤ、彼の仕事が祝福されますよう。