二千年と四百年前から愛してる | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 「憲法第二十一条の詩(うた)」という記事を大幅に加筆した。絶縁した叔母への古い怒りの感情を、読むに堪えないくらいに叩きつけた。多分、あたしにとって文章を書くことは、自分で自分をセラピーにかけるようなものなのだと思う。
 おかげで最初の、「実在の人物をモデルに云々」というテーマから逸脱して、叔母に対する個人攻撃のような内容になってしまった。でも、それでもまだ全部は出しきってないw

 「(叔母は)自分の怒りの理由が、利害関係のない第三者が聞いても納得するものかどうか、きちんと省みて問い直す気がない人」と書いてみて、それは自分のことではないかとも思った。
 最近、ちょっと好きな人とすれ違いがあって、今までほぼ全通いしてたライブを全てキャンセルしてる。つまり、全く会ってない。

 「片思いの彼と巧くいってなくて…」「その理由というのはああでこうで…」
 と話すと、
 「それは愛ではなくってエゴ、執着やね」「少なくとも、『こんなにしてやってるのに』っていうのは、『無償の愛』ではないよね」「気持ちの押しつけになってない?」
 と、ある人に指摘された。つい昨日のこと。

 正直、自分でもそうだな~とは思ってる。他の人にも同じようなこと言われたことあるし。

 ただ、「肉欲」というものと切っても切り離せない関係にある以上、「エロス」(ここでは恋愛感情という意味)は「アガペー」(無償の愛)にはなり得ない、というのがあたしの持論でもある。古代ギリシャの哲人もそう考えたから、この二つを相反するものとして、対極に置いたんだろう。
 「好きな人に他の恋人がいても、本当に好きならその人の幸せを喜び、二人を応援してあげられる筈だ」ってよく聞くけど、ホンマ暴論や思うし。アホか、「好き」の意味が違うだろ。どこに好きな男が他の女を抱いて、二人していい思いしてるのが嬉しい奴がいるんだよ。
 (これは例えばの話ですよ。あたしと彼との諍いの話をしてるんではない)

 全部あたしのワガママかと問い直してもみたけど、でもやっぱり彼の方にも、自分本位で不誠実で思い上がってる部分はあると思う。
 少なくとも、客商売(もっと言えば水商売)として非常に未熟で、勘違いしてるのは確か(^_^;)

 とはいえ、「利害関係のない第三者」も意見は色々だったりするしな~。
 「それはアンタが多くを期待しすぎだよ」と言う人もいれば、「それは彼の方が悪いよ」と言う人もいたりで。