2024年が始まりました。

 

2023年は、父が亡くなり、母との同居が始まり

2021年、2022年に引き続き

日常が大きく変わる出来事が続いた1年でした。

 

シングルマザーになるときに

子供たちの生活を支えていくことに

諸々の覚悟はしていたつもりですが

予想外に早く、母も含めて家族を養う立場になり

元夫を含め家族の大黒柱であった「父」の気持ちも

今更ながら少し理解した気がしています。

 

予想すること、想像することはとても大事だけど

想像の範囲は常に限られていて

経験してみて初めてわかることが多い。

そして、経験してみても、所詮自分の域を超えることはなく

誰かのことを100%理解することなどできないことも

また確かだと、つくづく感じています。

 

それでも癒されるのも傷つくのも

笑うのも泣くのも、人間としての成長も

人との関わりから生まれることがほとんど。

 

昨年は仕事でも

人とのつながりの大切さが改めて身にしみることが多くて
年末に、勇気をふりしぼり20年以上ぶりに

大学時代の同窓会的なものに参加しました。

 

懐かしくてうれしかった半面

つらかった大学時代の4年間のその理由、

忘れかけていた自分の性質も思い出したと共に

近しかった人たちの共通点を改めて認識することで

自分の癖が見えてきて少し愕然としました。

 

その愕然とした気持ちの根幹にあるものこそが

これまでの生き方を左右してきたもので

これからの生き方を方向付けるものなのだと思っています。

 

今まで、パートナーだけは

自分のことを理解し、支えてくれる存在だと思っていました。

家族も友達も同僚も

常に嫌われること失うことを恐れていて

ダメな自分が垣間見えるたびにおびえていたし

逆に言えば自分を好きと言ってくれるパートナーには

その気持ちに甘えて

自分を理解して受け止めてくれることを求めすぎていました。

ある意味、一方的に。

ある意味、一種の病だったのかもしれません。

 

亡くなった夫は

その希望を最後に持たせてくれた人であり

それが傲慢であり幻想であるという現実を

初めて理解させてくれた人でもありました。

 

パートナーを実質的に失って2年以上がたち

心の底を吐き出せるところがなくなって

「孤独」の意味を今までと違う形で知り

それがいたって普通のことであることを

今更ながら気がつき始めています。

 

亡くなった夫も父も、最後までその「孤独」とつらさを

自分の中で抱えて生きていたことを

亡くなってから知りました。

 

どんなにつらくても他者に助けを求めることができずに

飲み込むか、戦うか、しかないことがあると思うのです。

 

それを受け止めることを知らなかった私は

今までが相当能天気であり、温室で恵まれていたのだなと。

 

以前、養老孟司さんの本で細胞の「壁」の大切さを知った時

細胞の集合体である人間もまた

他者との「壁」がよい意味で必要なことを

学びました。

 

村上春樹さんの最新作「街とその不確かな壁」は

その「壁」の在り様を考えさせられる作品でした。

 

自分でも自分のことを100%理解することがないのと同様

自分をありのまま理解し受け止めてくれるなど

どんなに近しい存在でもあり得ないし

それは悲しいことでもなく普通であること

今更知るのは、きっと私がとても愚かだったからなのだと。

 

この歳になってようやく、ということが未だに多いですが

この歳になってようやく

人と人とのつながりにおいて

「壁」とその向こう側を尊重することの大切さを感じています。

 

これまでは「壁」の存在を認識するための時間だったのかもしれません。

2024年以降は「壁」の存在を受け止めながら

自分に対しても他者に対しても

その在り様を考え行動できるような生き方がしたいと思います。

 

元旦の日。

久しぶりの筑波山で

娘が撮ってくれた背中。

あたりまえだけど自分の背中は

誰かや何かを通じてしか見えない。