6月初旬に父は永眠しました。

 

実家の整理や医院の廃業手続き

その他、数えきれないほどたくさんの手続き。

悲しみに暮れている間もないくらい

書類に埋もれて、てんてこまいの母のサポートで

私も忙しい日々です。

 

昨年亡くなった夫が2年前に倒れた時もそうだったけど

不思議なことにこんな時に限って

仕事の忙しさや家庭の悩みも重なるもので

きっとそれは逆に心を保つためなのだろうと

そう捉えて日々頑張っています。

 

魂が半分口から出てる感じで、

なんでこんなに元気に頑張れているのか不思議ですが。

 

プライベートも仕事も

悩みを吐き出すことが、いい意味でできなくなった。

飲み込む術を少しずつ学んでいます。

 

といいつつ

じわじわとやられてもいます。

 

でも

今は、母のためにも

子供たちのために頑張らなくては、、

というのが心の支え。

 

今まで性善説で生きてこられたのは

きっと幸せなことだったのだと思う。

残念なことに世の中に意地悪な人というのは確実にいて

人の弱みにつけこんだり

自分の憂さ晴らしに罪のない人をいじめたり

正義をふりかざして人を地の果てまで追い込んだり

そしてそういう人に限って

自分は表面的には幸せに暮らしていたり。

(でもきっと重い何かを抱えているのかと・・・)

 

真面目に精いっぱい生きているひとほど

苦労していたり。

 

でも、かすかな光はいつもどこかにあるものだと

信じています。

 

思いがけないところで思いがけない人の優しさに

心底救われたりするから。

心から感謝します。

 

人はみんな、死んでしまう。

大切にしてきた物は、やがて色あせて

最後にはゴミとなってしまう。

いつかは、ある日急にかなわなくなってしまう。

 

だから、無理してでも

今できること、願うことを精いっぱいかなえたい。

大切な人との時間、温もり、笑顔

心にしみこませて生きていたい。

そんな風に思う。

 

それなのに、物理的に忙しくて

目の前の子供たちとの時間がおろそかになってしまっている気がするのが

いつもいつも葛藤なのだけど。。

 

実家。

今の家。

母の家。

職場。

駅。

公園。

 

時々、それぞれの世界が違いすぎて

めまいがしそうになるけれど

今は、自転が早まってるのかもしれない。

 

穏やかに読書したり、勉強したり

ゆっくり丁寧にご飯を作ったり

コーヒーをいれたり

お花をめでたり

そんな穏やかな未来を夢見て

いまを乗り切ろうと思います。

 

父が実家に植えた百合が立派につぼみをつけて

家に持ち帰ったら

見事にすべてのつぼみが立派に花を咲かせて

しばらく華やかで甘い匂いに満ち溢れていました。



お父さん、ありがとう。

お父さん、お花、好きだったね。