気がつけば10月も終わろうとしている。

金木犀の香りが消えていく頃

10月初旬に彼は永眠しました。

 

1年3か月前の暑い夏の日

コロナのワクチン2回目を受けた次の日に

仕事に行くと出かけた夕方。

「いってらっしゃい」が最後の会話で

その日以来、意識が戻ることはなかった。

 

何度も何度も命が危ない状態になっては持ちこたえ

ここ数か月は肺炎を繰り返し

もう体が限界になっていたようです。

 

亡くなる前に、担当医の先生のご配慮で

面会禁止の中、直接会う時間を30分ほどいただきました。

もう、涙は枯れ果てたと思っていたけど

これまでの「ありがとう」を伝えたら、また涙があふれてきた。

 

色々あったけど、

苦しい時期に支えてくれたこと

いつも絶対的な味方でいてくれたこと

誰も正面から向き合おうとしてくれなかったダークサイドを

受け止め、認めてくれたこと

とてもとても感謝しています。

 

「ありがとう」

「私はもう大丈夫だから、安心してね。」

「もう苦しまないでね。」

と最後に直接伝えられて

彼が大好きだったカーラ・ボノフの「The Water is Wide」を

聴かせてあげられてよかった。

 

彼の体を見送った時

改めて、彼の魂は、だいぶ前に遠くにいってしまったのだと感じ

悲しいという気持ちよりは

彼の体がようやく苦しみから解放されたこと

これで彼が心も体も自由になったことに

安堵した想いでした。

 

倒れた後も、彼は私に多くのことを教えてくれて、

私はこの歳になってようやく

「現実」というものを直視できるようになりました。

 

「夢」も「理想」もようやく、傍らにおいて

当たり前の連続の「日常」のありがたさを痛感し

現実から広げていく「未来」を一歩一歩積み重ねることの大切さを実感し

「いつか」を描かないように心がけるようになりました。

 

彼が倒れてからどれだけ涙にくれたかわかりません。

それでも、言い方はおかしいし不謹慎かもしれないけれど

今、私は「幸せ」です。

目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手を伸ばせばふれられるもの、

朝起きてから夜寝るまで選択の自由にあふれていること

それは確かな「幸せ」だということを

彼が改めて教えてくれました。

 

失ったもの、足りないものを探せば限りない。

でも、本当に失ったら困る大切なものはほぼすべて

いつも自分の近くに、自分と共に存在している。

 

もう泣かない。もう求めない。

夢も理想も描かずに、ただ

明日は今日より少し成長できるように

自分を責めないでいられるように

今できる少しの頑張りをすることをやめずにいたい。

 

ありがとう。

さよなら。

苦しみから解放されて、新たな世界で穏やかな笑顔でいられますように。

 

 


久しぶりにYou tubeに作品をあげました。

この作品は、2年前に作ったもので、

彼は「変わった曲だね」と言っていて、微妙な反応だったのでお蔵入りさせていました。

決して出来栄えのよい作品ではないですが、、残しておこうと思います。

あの頃、あと20年は生きると勝手に信じていて

2年後にこの歌のようになるなんて思いもしなかった。