バイオリズムにより月に一度

怒りと悲しみがセットで押し寄せてくる。

 

そんな時には

普段ならやり過ごせること

やり過ごしてきたことが波のように押し寄せて

いつもよりずっと小さく縮まった器では

あっという間にあふれだしてしまう。

 

先日子供たちが不在で久しぶりに1人の夜があって

友達と夜中に4時間もzoomをした。

 

20代半ばの時に一緒に働いていた彼女は

本当に誰からも好かれる心の綺麗な裏表のない人で

出社初日に、上司から

「あの子とは仲良くなっておいたほうがよいから

今から話しかけに行ってこい!」

と背中を押されたような人。

(ちなみに年下!)

 

その頃から事あるごとに

いつもさまざまな心の中を聞いてくれて

会社を辞めて15年近く経つ今も時々話をする。

 

去年もちょうど今頃に話をして状況報告をしてた。

 

そして今回、4時間近くも話す中で

普段は誰かに話すことのない胸の内や

とても人には言えないワガママな本音など

話したり、考えたりする中で

自分の性格の嫌なところ、至らなさ、を

今回改めて思い知ったのです。

 

わかってほしい 大切にされたい

わかってあげたい 大切にしたい

より実はいつも根底にあって

 

裏返せば

わかってもらえない、大切にされていない

と思うことがあれば、ひどく傷つくわけで。

 

そもそもそれはキリがない欲求で

自分こそ、できていないと思うし

これだけ歳を重ねたのに

なんて未熟なんだろう…と。

 

彼女は

「人生は人と自分は違うのだということを理解する旅だと思う」

というようなことを言っていた。

 

共通点を探すことではなく

「違う」というとを知ること。

 

傲慢だったなと思う。

 

ボランティアでも、仕事でも、パートナーでも、育児でも

人間関係の悩みのほとんどはそこからくる。

 

でも頭でわかる理屈とは裏腹に

感情が心をぐちゃぐちゃにしていくのです。

そして怒りと悲しみが表裏一体で生まれてくる。

 

バイオリズムの波が去れば、

そんな気持ちも落ちつくときもあるのだけど。

 

数年前、もうとっくに授業が始まった小学校の正門の前で

おそらく登校拒否気味な子どもの手を引っぱり

登校させようとしている親と、泣き叫んで抵抗している子をみた。

 

ちょうどそのとき「かがみの孤城」という本を読んだ後だったこともあり

その光景がとても目に焼き付いて忘れられなくて

そして書いたのが「夜」という曲だった。

 

子どもの気持ち。

親の気持ち。

 

今は、私自身が、半分あの光景の中にいる。

 

もうすっかり、曲を書くのが怖い。

昔書いた曲が、なんだか未来を予感していたように感じてしまうから

なおさら色々なことが自業自得に感じてしまったり。

そして、自分の生み出す言葉に、自分の傲慢さが現れている気がして。

 

ずっと細く長くライフワークとして続けていこうと思った矢先だったけど

今は歌詞は書けそうにない。

雲があっても、雨が降っても

青い空のようでいたい。