昨日の夕方、空が急に黒い雲に覆われて

落雷があり、大雨、雹などがざあざあと叩きつけるように降った。

 

そして1時間くらいすると、まるで何もなかったかのように

さわやかな陽がさす青い空に戻っていた。

 

もしもその1時間を窓のない部屋ですごしていたら

きっと何事も知らないまま帰路につくことになったのだろう。

あれ、雨降ったのかな? と。

 

昨年の8月からの時間は私にとって昨日の夕立ちのような時間だったのかなと思う。

何事もなかったような青空にはもちろんまだ戻っていないのだけど。

 

その時期を知らない人にとっては、

その前と同じように、何も変わらないように見える景色。

それは大抵の場合、とても救いだけど

時々、孤独の針が差し込むこともある。

 

4月の終わりにスタジオを引き払ったことを前妻の娘さんから聞いた。

 

彼は、今も病院で意識のないまま過ごしている。

面会ができなかったこともあり

フルタイムの仕事になったこともあり

転院してからもう半年以上、顔を見ていない。

ただ、「生きている」そのことだけは知っている状態は

なんだか現実が少し歪んで見えて

時にとても不思議な気持ちになる。

 

彼が倒れてから、彼がたくさんの隠し事をしていたことを知った。

そのショックは、倒れた時と同じかそれ以上の追い打ちをかけて

一時期は錯乱状態だった。

 

私はすべてをさらけだしていたけれど

彼はそうではなかった。

でも隠し事をせざるを得ない状況にさせたのは

きっと私にも原因があったのだと思う。

 

そして学んだのは、彼がよく私に指摘してくれていた

「自分の心に土足で人を入らせることが多すぎる。

弱みをさらけ出し過ぎる。

だから弱みにつけこまれるんだよ。」

というのは本当だったのだということ。

 

弱みをさらけ出し、人に頼りまくり

自分というものの軸があまりにも不出来だったと

この年になっていやというほど痛感した。

 

今更ながら軸の立て直し。

うまくいくかどうかわからないとか、四の五の言ってる場合ではないので

毎日必死です。

心身の弱さとの闘い。

 

誰に何を言われても動じない心の強さや

睡眠時間3~4時間でも、眠くならない強靭な体がほしい

 

キュウリのつるは、ゆらんゆらん風にふかれてゆられまくるのだけど

うまく、どこかに巻き付いては葉をだし、

そしてまたどこかに巻き付いては次の葉を出し

本当にたくましくて、生命力を感じます。

巻きつきかたもとても上手で、ねじのようにくるくるとまき

伸縮可能になっている。

 

そんな風に、柔軟でありながらたくましくいたい。

 

そして、届かないとわかっていても、手を伸ばしていたいのです。

 

2年ほど前につくった曲。

最近、時折思い出して、自分の励みにしています。

結局、自分のための曲作りだったのだな、、、と。

 

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<蔓(つる)>


どんなに不平をいってみたって
所詮は何も変えられないって
あきらめたい日もある
野に咲く小さな君だって
育つところも選べないって
ぼくらはなんだか似た者同士だね

今年も風が心地よい季節がきて
空の青さに胸がぎゅっとなり
そしてぼくたちは手を伸ばす
届かないとわかっていても

街を歩けば怒涛のように
押し寄せる感情の波に
ふらついてしまう日もある
だけど野に咲く小さな君が
気づかずに誰かを助けたり
笑顔にできることが希望でもある

今年も風が心地よい季節がきて
懐かしい匂いに胸がぎゅっとなり
結局ぼくたちは手を伸ばす
届かないとわかっていても

今年も風が心地よい季節がきて
空の青さにに胸がぎゅっとなり
結局ぼくたちは手を伸ばす
届かないとわかっていても
何度でも手を伸ばす
もうあの頃には戻れないと
わかっていても

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