Pride。
いらないと思ってました。16歳の時から。
16歳の時に書いたPrideという曲の詞 ↓
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窓ガラスをつたって落ちる 雨を見ているの
最近寒そうになってきた空
休み時間の教室はいつもと同じに みんなの笑い声で温かいけど
勘違いして すれ違って 姿を見失ってしまった
本当の私にどこへ行けば会えるんだろう
さあ涙ふいたら 笑ってみせて
少しでも幸せをつかめるように
ありがとうさえも素直に言えない
そんなプライドなら捨てちゃえばいい
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ありがとう、とか、ごめんなさい
とかを素直に言えない
「意地」のようなプライドなら確かに要らない。
プライドが高い人って
そのプライドが傷つくと、異様に怒ったりするし
プライドの範疇において他人の意見は聞こうともしないし
そこから発される言葉は人を傷つけもするし
そういうのが嫌で、
プライドの高い人にはなりたくないと思っていました。
だから必要以上に謙遜したり卑下したりして
嫌な人間になるよりは
自信もプライドもたいしてなくてもいいんだと思ってました。
でも、そんなことをしても
自分はもちろん誰にとっても良いことはない
必要なプライドもある
と今は思います。
努力に下支えされた、職人のような「Pride」は
とてもとても素敵だと今は思います。
私も、会社勤めでは仕事のプライドがあるのだと思う。
お客様や、同僚に迷惑をかけないためにも
そのプライドを崩さないように、日々の積み重ねをしていたと思う。
でも、音楽をやっている自分はどうだろう?
良い意味でのプライドを持てなかったなら
私にとって歌う意味があるとは、きっと言えない。
良い意味での「プライド」をちゃんと持って歌いたい。
・・というわけで、歌も、ピアノも、ギターも
日々わずかですが積み重ねていっています。
昨日よりも今日、少しでもうまく表現ができるように。
今なら、16歳の時とは違う「Pride」が書けるかな。。
写真は、念願の恐竜博にいき
お土産に買ったクイズ本に夢中な息子氏。
「Pride」だなんだの難しいことなんていらない。
好きなことに夢中になり
スポンジのように知識を吸収して、ぐんぐん成長していく
エネルギーあふれる小さな姿が
とてもキラキラして見える!!!