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愛宕南緑地のホシザクラ(タマノホシザクラ)


 

この地域でソメイヨシノが咲き始めた頃、満開の桜を見かけたらこのホシザクラか同じ親を持つ近縁種。園芸種ではない、その存在が尊い植物学上の「種(しゅ)」なのです。立ち止まる人は稀。


大きな個体は南大沢に多く、この愛宕南緑地の株が自生分布の東端で孤塁を守る。

 

 

 

 

 

多摩丘陵の申し子

 

自生は町田市、八王子市、この多摩市と限られたエリアでしか見られない。同心円ではなく直線的な分布が語ることは?

 

200万年前、この地は海の下だった。その後隆起があり多摩丘陵となるのだが、どこかの時点までこの地に古相模川が流れていた。そして、その推定扇状地がなぜかこの桜の自生分布と重なる。

 

古相模川が流れていたのは地質年代的昔のことであり、直近の寒冷だった旧石器時代は桜の生育に適さなかったことを考慮すると、日本列島が温暖化した以降にエドヒガンとマメザクラが出会ったと考えたい。

そして、根元を分ける栄養繁殖でのみ種を繋なぐ桜だから、古相模川の残した川筋のなごり地形に生じた大栗川の南岸に沿って分布を広げてきた、が試論。大栗川の北岸に自生の報告がないとしたら、それは渡ることはできなかったことを傍証することになる。

 

現在も自生密度の高い南大沢から多摩境のどこかで生じた、と地図のプロットは言っている。現在見られる東進到達点のホシザクラが愛宕南緑地のこの個体ということになる。多摩川まで3キロ弱、武蔵野に下りることはなかった。

 

 

 

 

 

ホシザクラ(マメザクラ×エドヒガン)

 

 

ガクの形が★記号のように整っているのが名の由来。この桜の紹介では、きれいな星形のガクを見せるために裏からの写真が多くなるのですが、ここではポートレートアングルです。


小さな花が2花ずつ垂れます。
花弁は半開でとどめるのが、凛として見える理由でしょうか。
ガク筒の膨らみ方、毛の識別ポイントでは両親からの形質が受け継がれています。
つぼみ、花びら、ガクにマゼンダ色素(レッドではなく)が強いのも一目でホシザクラとわかる特徴です。

 
 
 
 
 
 

太陽の光を必要とする陽樹で、南に開けたこの法面(のりめん)上は適地なのだろう。

しかし、ヤマザクラほどの大木にはならず一個体の寿命は長くはないようだ。

 

八王子市の南大沢、大塚、町田市多摩境などの分布の中心エリアでの生態をみると、それでも生命力のある種で、根からの栄養増殖の現場を見る。

 

この個体の場所は、北は道路でアスファルト、南は急斜面。土が連続しなければ自らで子孫を広げることは叶わない。

 
 

この桜自体はすでに公的機関や研究者による他地での栽培や地域の人々に保護されているので、種が絶えることはなさそうだが、ここまで種を繋いできたような自力による自然な生態が続くかは懐疑的だ。都市化に耐えるだけの個体数がすでにない自生絶滅大危惧種なのだ。

 
 
 
 

ヤブザクラという伴走者

 

データによればヤブザクラはホシザクラよりも広範囲、関東西南部に分布している。ホシザクラのある場所には実際よく見られるので多いのはやはり多摩丘陵なのだろう。また、片親のマメザクラも近くにあったりする。

 

親が同じなので開花時期も同じころで、ソメイヨシノはまだ咲いていない。ヤブザクラの花は大きく花びらは平開するので別の桜とすぐわかるが、花つきの雰囲気は似ている。

 

 

(ここより根拠のない想像)

 

かつて、現在は分布しないエドヒガンがあった時期があって、マメザクラとこの地で出会ってヤブザクラが生じた。ホシザクラより広く分布するのはより早い時期に生じたためだろう。

ホシザクラが生じたのは、地質時代的にはより最近だとしてみる。分布を広げる前に人類が住み着き、道を作り踏み固められることで増殖のための根の伸延がブロックされた。

 

妄想を膨らませると、ホシザクラは縄文時代に南大沢付近でヤブザクラの枝変わりから生じた、というのはどうだろう。

 
 
 
 
 

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