お母さん | 空の行方☆

お母さん




叔母のことでワタシを心配してコメントやメールを下さった皆さん、

本当にありがとうございます。

おかげさまで昨日お通夜、本日告別式を無事終えることができました。






叔母が亡くなった直後、なんとなくボヤっとしていた感情が、

お葬式をして彼女を送り出す段階を経て、

ようやく少しずつだけど明確になってきたような気がします。






今回の事で一番心配していた母への告白。

叔母の死を伝えた当初はやっぱりすごいパニック状態に陥り、

「私も死にたいっ! なんで私を置いていったのっ?!」と・・・・・。

こんな状態の母にこれからどうやって接していけばいいんだろうかと、

予想はしていたものの戸惑いました。

だけど、そんな母もお通夜の席で久しぶりの親戚(遠方に住む母の姉妹や、従姉妹たち)に会って、

いろいろ諭されたことで少しずつ

「残された人間が力を合わせて頑張って生きていかなくてはいけない」

そういう風に思えるようになったようで、いつもの母のように落ち着いてきました。






お通夜の後、本来なら一度家に帰って、

また夜が明けてから告別式に参列する予定だったんですが、

「○○(叔母の名前)と一緒にいるっ!!」と言って聞かない母と一緒に、

叔母の家で一晩を過ごしました。






何年ぶりだろう、あんなに母と話をしたのは・・・・・。





母は10年ほど前の脳溢血の後遺症で右半身マヒ、

そして言語障害が残っています。

ボケているワケではないのに、話したいことがあってもうまく言葉が浮かんでこない。

彼女はそんな自分に苛立ち、話すことを諦めてしまうし、

ワタシも目の前の忙しさに、そんな彼女の言葉を時間をかけて聞いてあげることができていなかった。





叔母の死から気をそらせるように、いろんな話を振ってみるワタシ。

そんなワタシの問いかけに、詰まりながら、言葉を探しながら、それでも一生懸命に話す母。





母の兄弟のこと、祖父や祖母のこと、亡くなった父のこと、

ウチの姫が幼かった頃の話や、最近の彼女が内に押し殺していた思い。





朝が来るまで夜を徹して話を聞きました。

そんな中、彼女が言ったんです。





「最近のアンタにはイライラすることもいっぱいあるけど、それでもやっぱり私はアンタが可愛い。

 確かにお兄ちゃんやお姉ちゃん(ウチの姫と王子たちのこと)も

 何かしてあげたいという気持ちはあるけど、やっぱり私はアンタが可愛いんや。」





彼女の思いがけない言葉に、胸が詰まり涙が出そうでした。






自分の体が不自由になっててもなお、大きな愛でワタシを見ていてくれる母。

時々頑固なまでの母に苛立ちを隠せないこともあったひどい娘なのに、

それでもこんな風に愛してくれる母。

やっぱりワタシはいくつになっても、母にとっては子供なんだな~とつくづく思った。






そして今日の告別式。

最後のお別れの時、棺にすがるように寄り添って、






「お母さぁ~~ん! お母さぁ~~ん!!」






と叫ぶように何度も叔母を呼んでいた従姉妹の声が、今でも耳に残っています。

まるで迷子の子供が、必死に母を探しているかのような呼びかけでした。

胸が痛かった。






ワタシはずっと心の中で「おばちゃん、ごめんね。 ホントにごめんね。」と

謝ることしかできなかったけど、彼女は何度も、






「お母さん、ありがとう。 ありがとね。」






そう言って、叔母の頬を撫でていた。






もし今、母を亡くしたら、ワタシはやっぱり「ごめんね」としか言えないと思う。

これじゃいけない。 これじゃ、きっと後悔する。

昨夜の母の言葉が、何度も何度もワタシの心に響きました。







出棺の時、そんな思いで胸がいっぱいになって声を殺して泣いていたら、

背中をそっと撫でるひとつの手。

いつもマイペースでドライな壊れ王子だった。

あんなに小さくって、一番扱いの難しかった壊れ王子が、

今、ワタシを気遣って背中を何度も何度も撫でてくれる。

その手の温もりでワタシは随分救われたような気がした。







母がワタシを思い、息子がワタシを思ってくれる。

こうして親子の絆は繋がっていくんだな~。







やっぱりワタシは救われてばかりだ。







ワタシは「お母さん」という言葉を聞くとき、

なぜだか恋をしてる時に似た甘酸っぱくて切ない感じを抱きます。

「お母さん」と言う言葉は全世界いっぱいあると思うけど、きっとどれもそう。






「ラブストーム」でケンちゃん演じる宝龍が、生みの母に向かって叫んだ






「媽ぁ~~っっ!!」






という言葉に、ワタシは今日従姉妹が叫んだ時に感じたのとおんなじ感覚に陥りました。

動物の子供が母を呼ぶ時に発する特別な泣き声と同じで、

人間も子供が母を呼ぶ時、何か特別な声を「お母さん」という言葉に乗せて発しているのかもしれない。







夕暮れ時、家路に着く車の中で、

もう二度と面と向かって「お母さん」と呼ぶことのできない従姉妹のあの叫びを思い出し、

今もなお「お母さん」と呼べる幸せをワタシは胸いっぱいに感じていた。

そしていつもなら「ばあちゃん」と呼びかけている母に向かって、

そんな気持ちを噛みしめながら言いました。







「お母さん、寒くない? お母さん、疲れてない?」








ひょっとしたら今回のことは、

年の離れた姉である母のことを自分の親のように心配していた叔母が、

ワタシにくれたチャンスだったのかもしれない。

今こそ叔母に感謝しよう。









「おばちゃん、ホントにありがとね」














さて、ケンちゃんのソロコンまで、あと1週間を切りました。

こんな状態だったので、行けるかどうかかなり怪しかったのですが、

どうやら行けそうな明るい兆しです。





今頃ケンちゃんは、

前回と同じようにお母さんや妹に聴かせるつもりでリハーサルに励んでいるのでしょうか?

もしそうなら、彼の納得がいくステージを家族に見せてあげてほしいですね。

あの若さでお父さんを亡くしたように、「お母さん」と呼べる時間は限られていますから・・・・・。





         





↓の記事にコメレスを下さった皆さん、

スグにでもお返事書きたいのですが、

昨日の夜を徹しての親子の語らいで今日はヘロヘロです。

近日中にお返事しますので、もう少しお待ち下さいね(汗;)。