50歳を超えてようやく小説を読んでみようという気になっている。
どころか今年で5,6冊目だ。
いやこれでも多い方だ。その代わりにビジネス書が益々山積みとなっている。
最近若いころにやるべきだったことに今更手を付け始めていると感じることが増えてきた。
これもそんな部類のことかもしれない。
ともあれ、一気に読んだ。
否、早々から勿体ないと思い、わざわざ5日に分けて読んだ。
なにしろ今は隔離生活で、仕事をしつつも確実に夜などは時間がある。
そこを、「わざわざ」細切れにした。
政次郎の心に完全に入り込んでしまった。
似たような家族構成を持つ父親から来る共感かもしれないし、またなるほどそういう
息子への接し方もあるのだと言う、客観的な視点からの興味が沸いたからかもしれない。
花巻の家の様子、本郷の様子、山川の様子、トシと並んで聞いた水の流れ、
耳、鼻、肌で感じることがで来る。読書している間夏から瞬時に秋になった時期と重なった
のだが、時折上海のホテルの部屋、そして家に吹いてきた。確かに吹いてきた。
質屋の跡取りをどうするという点は事実でもあろうが、小説の中で途中まで一つの小柱
として機能しており、世代や時の移り変わりに立体感を持たせる。
賢治は大小合わせて何度家を出て行ってしまっただろう。その旅に父は止めることは
ほとんどなく、止めようとして止めない。最後は賢治を守るような、今でいえばペコパのコント
のように暖かい心理転換をもってして自身をおさめる。
さて実は、永訣の朝は、数少ない筆者とタイトルが一致して記憶されている詩である。
とどめはクラムボンである。教科書に載っていて小学校の校庭で友達らとなにかおかしく、
そして悪気もなくなんども口にして笑ったことを思い出した。
いまさらながら小説読みがエスカレートしそうだ。
いつになることかわからないが、次回の帰省の時は、宮沢賢治、そして門井氏の本を
本書にもちらっと出てくる神田神保町で漁ってみたい。
(最近なにが起きたのか「さぼうる」が並ぶようになってしまって。。)
隔離生活、アパートのカーテン 秋風にふーわふわ ゆうらりゆらり。