セイロン紅茶
140年前のスリランカはコーヒーの一大生産国であった。
スリランカの歴史をひもとくと、紀元前5世紀にインドのビジャヤ王が700名の部下(シンハラ人)を引き連れて先住民族(タミル人)を征服してシンハラ王朝を建国した。
紀元前3世紀には仏教が伝承、王などの有力者が帰依し、仏教が最有力勢力となった。
セイロンにはポルトガル植民地となった1517年以前にアラブ人がコーヒーを持ち込んでいた。
1658年にオランダがポルトガル人を追い出すと本格的にコーヒー栽培を開始した。
1796年イギリス東インド会社がオランダ領を接収、その後イギリスが全島支配した。
1850年から世界のコーヒー消費量が増加傾向になり、スリランカでもコーヒー栽培が盛んとなり1870年のセイロンコーヒーの輸出が5万トンとブラジル、ジャワに次ぎ世界3位のコーヒー輸出国であった。
 一般的には1865年にさび病で全滅したと思われているが、現実には第二次世界大戦前まではセイロンコーヒーは年間1万トン以上輸出していた。
紅茶栽培が始まった背景には、大英帝国の野望がセイロンコーヒーを消滅させた。
イギリスがセイロンのコーヒーや紅茶農園の労働力を南インドのタミル人を長年にわたり移住させた。
1948年イギリス連邦の自治領として独立して以降も現地人とタミル人との民族紛争の種となり、その後仏教を準国教化してから、民族闘争が表面化した。