「~しかない」という言い方が前から嫌いで、ずっと言ってるしもしかしたらここでも既に書いているかも知れません。特に感情についていう場合がおかしいと思うわけです。
たとえば、
女手ひとつで育ててくれた母には感謝しかない。
という言い方。たいへん感謝しているということが言いたいんだと思いますが、感謝以外にもたくさんのいろんな感情があるはずです。申し訳ないという気持ちもあれば愛しい気持ちもあるだろうし、もしかしたら少しぐらいは負の気持ちも有ったりして、とても1つの気持ちだけではなく、いろんな感情がないまぜになっているはずだと思うのです。ということを踏まえて。
さよならだけが人生だ! という有名なフレーズがあります。
于武陵(うぶりょう)という唐時代の詩人の勧酒という詩の井伏鱒二の超訳です。
原文と読み下し、訳詩は以下の通りです。
勧酒
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須ひず
花発きて風雨多し
人生別離足る
勧酒
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須ひず
花発きて風雨多し
人生別離足る
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ つがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
「さよならだけが人生だ」
というのは、人生には別れが多くある、というのを強調しているわけですが、だけがと言い切っているのと、主語をさよならにしているところがスゴいところなのです。
人生はさよならばかりだ、というと、梅雨は雨ばかり、というのと同じで、ずっとではないけど、ほとんどそればっかりといってもよいくらい多いという意味になるので間違いではないのですが、インパクトは小さいでしょう。
さよならだけが、というのは非常にインパクトがありますよね。さよならだけが、というのは放浪記の林芙美子さんが「人生は左様ならだけね」と言ったのを井伏鱒二が覚えていて訳詞で使ったということですが、私もこのさよならだけが人生だというフレーズがあるからこの詩が良いと思うワケで、この歳になるとホントにその通りだと思うのです。ホントに別れが多くて、それ故に出会いを大切にしなければいけないし、会いたいヒトには会えるうちに会っておかねば、と思うわけです。
ということから言うと、しかないという表現も認めても良いのかなと、一瞬そう思ったのですが、感情については1つの感情がどれ程強くても、単純に言い切るのは好きではないとやはりそう思い直しました。

にほんブログ村