ぼくが20代の頃の話。


大学を卒業し、アメリカと日本の合弁会社に無事就職。出社して1週間後、副社長のMr.Wなる人物がぼくに話しかけてきた。勿論英語で。 アメリカ人というのは、外国人は誰でも(つまり大学を卒業した人間ならなおさら)英語の会話くらい出来て当たり前と勘違いしている。 なにやら会社の仕事のことを言っているようなのだが、内容がさっぱり聞き取れない。ニコニコしていると隣の社長(日本人)に怪訝そうに訊いている。


「彼は本当に大学を出たのか?」


これ位は聞き取れるので、無茶苦茶恥ずかしかった。と同時に腹が立った。そんな失礼なことを平気で質問する奴の下で働きたくない。

1年も経たない間に会社を辞めた。同じ場所で、同じ空気を吸って仕事をすることに我慢できなかった。


それから間もなく与論島に行った。3月の半ばだった。海は静かで、どこまでも蒼く悲しい色をしていた。

島の人は優しく、ぼくのすべてを優しく受け入れてくれた。

何も話さず、何も訊かず、気が付けば1ヶ月が過ぎていた。

東京から来ていた女の子が帰京するという日の前夜、ともに焼酎を飲んだ。朝まで語り合った。

初めて会った日、その子の目はきらきら輝いていた。

何かを探している目であった。

その夜の彼女は違っていた。

鈍く沈んだ暗い目であった。

その大きい瞳から雫が時折緩やかに頬をつたって流れていた。

下を向いたとき、いくつかの涙の雫が青いドレスにしみ込んでいった。


「いつかは戻らなきゃね、現実に。 別に、逃げているつもりはないんだけれどね」


名前も顔も思い出せない。

青いドレス、大きな瞳、そこから流れていた涙の雫・・・・・




ぼくの旅の起点となった与論島。

静かな優しい、それでいてどこかどんよりしたイメージしか残っていない。

北海道、九州は学生時代に旅行をした。

何も考えず、自己破滅的(高校教師に言われた言葉)な自分を隣に従え、友人とあるいは一人で旅行に出ていた。

楽しかった。ただ楽しかった。


与論島から帰阪するときに、イギリスに行こうと決心した。

英語くらい喋れるようにならないとなあ、とそのとき漫然と考えていた。

その後のぼくの人生に関わる重大な決意であったことだとは、そのとき気づく筈もなかった。




イギリスに行くことになったぼくの周辺の事情を、少し掻い摘んで紹介しました。特にドラマティックな理由があったわけではないのですが、ぼくにとってはやはりMr.Wの言葉は相当にショックでありました。勿論努力を怠っていた自己に責任があるわけでして、Mr.Wに落ち度があると言うわけではありません。彼にとっては当然の考えであったわけで、それをどうのこうの言おうとは思いません。 しかしながら、 人にとって当たり前のことも、受け取る側の捉え方が、その歩んできた人生によって大きく違う。それが人に大きな影響を及ぼすことになるということも忘れてはならないでしょう。



次回はイギリスに行くまでの旅費の調達をいかにやったか、そのあたりから述べていきたいと思いますが、どうなるかはわかりません。とばしてしまうかもしれませんがそのときはあしからず。



ロンドンでの生活はハチャメチャですので、あえてしかつめらしく、序章ということで・・・・



百合ケ浜 大金久海岸の沖合い1.5kmにぽっかり浮かぶのが百合ケ浜。干潮時だけに姿を現す真っ白な砂浜で、年齢の数だけ星砂を拾えば幸せになれる、という伝説があります。


[与論島ガイド ]より


注目馬は④ロジック


父アグネスタキオンは幻の3冠馬である。200年のラジオたんぱ杯3歳ステークス で後の東京優駿(日本ダービー)優勝馬ジャングルポケット と後のジャパンカップダート 優勝馬であるクロフネ を相手に、後半5ハロン を全て11秒台で走り、2馬身半差の勝利を飾っている。 

翌年の弥生賞 を不良馬場も難なく5馬身差で制し、続く皐月賞でも単勝1.3倍の圧倒的1番人気に応え、見事勝利を収める。ここまで4戦がいずれも危なげのない内容での勝利であったことから、三冠 は確実との声もあったが、屈腱炎 を発症し、結局4戦4勝のまま引退した。そのため幻の三冠馬とも言われることもあるが、後日主戦騎手であった河内洋は「皐月賞は強い競馬だったがダービーでは距離が長くなってどうだったか分からない」と語った。


4戦4勝、新馬戦、ラジオたんぱ杯、弥生賞、皐月賞に出走、すべて勝利を収めている。そこで河内騎手のコメントが意味するものは、距離適性は2000mまでだろう、ではないか。

ロジックに関しても同様なことがいえるのではないか。更に云えば、ロジックの場合はマイルがぴったりなのではないかと思う。

母エイプリルドラマを調べていないのでなんともいえないが、父親の特性がさらに顕著に出ている気がする。


そこでルメールに乗り代わり、どのように騎乗するかが楽しみである。


相手は①コートマスターピース、⑦ダンスインザムード、⑧ハットトリック、⑩ダイワメジャー


力不足だが展開次第では、7枠3頭、8枠3頭。なかでも3歳馬、⑭キンシャサノキセキ、⑮マルカシェンクの2頭のG前強襲が見られる。



     3連複は ①④⑦⑧⑩ のBOXまたは、 ①④⑩⑭⑮ のBOX


    単勝は ④ロジック   馬連 ④-①⑦⑧⑩⑭⑮


まあ、今回は気になる1頭についての予想ですので、では~



アリサ カワカミプリンセス・エリザベス女王杯完勝~~


4コーナーを回ってから直線に抜け出すまでに、カワカミプリンセスが斜行したために降着となった。しかしながらレース内容は完勝だった。ゆっくり外へ持ち出していても、結果は同じであったと思われる。まれに見るレース根性と脚力の持ち主である。

ぼくの予想ははずれましたが、納得のレースでした。


次週はマイルCS。


話は変わりますが、浦浜アリサというモデルをご存知ですか。兵庫県の16歳高校生ですが、来夏のカネボウ化粧品のイメージモデルとかに。子供の頃に両親が離婚、母親に引き取られたが、その母ともすぐに死別。現在まで祖母に育てられているとか~~肝っ玉の大きな女学生モデルですね。


今のところまっすぐしっかり育っているような印象で、なんとなく応援したくなってしまいました。もう娘は嫁いでしまったんで、こんなにしっかりした子は見ていて頼もしいくらい・・・・楽しみだね。 172cmなんで役者としてもやれるんだけどね。




そろそろディアデラノビア!


ディアデラノビア(牝4、栗東・角居)は坂路での調整を終えると、角居師は自らまたがり上がり運動で感触を確かめた。「留守の間、厩舎の人たちが頑張ってくれた。自分で乗ってみて『いいなぁ』と思いました」と、ホッとした表情を見せた。枠順(6枠11番)についても「どこでもいい。決め脚をどこで出すかでしょう」と気にしていなかった。(ニッカンスポーツ)


勝つのはカワカミプリンセスでしょうか。3歳のアサヒライジング、フサイチパンドラ、アドマイヤキッス。5歳のスイープトウショウ、ルメール騎乗のシェルズレイ、岩田騎乗のディアデラノビアの勝負とみました。

2200mでどこで仕掛けるかによって勝敗が決する一番ですが、今回は11番ディアデラノビアを軸とします。


相手は、⑯カワカミプリンセス①アサヒライジング⑮フサイチパンドラ⑥シェルズレイ⑧スイープトウショう③アドマイヤキッス

末勝負となればチャンスありで、スイープトウショウとの一騎打ちも想定される。ということで、


馬連 ①-⑪、③-⑪、⑪-⑮、⑧-⑪ 押さえとして、⑪-⑯、⑥-⑪


[ギャンブルといえば、イギリスのブックメーカー]


ちょうどサッチャーが選挙に出馬した当時イギリスに滞在しておりました。労働党が勝つか、保守党かといった賭けも一段と盛んだった頃です。 その年のウィンブルドン男子優勝者、ロッド・レーバーに1ポンド賭けて買った記憶があります。

投票券は記念に日本に持ち帰ったはずが、紛失してしまいました。ロッド・レーバーはアマチュアとプロの両方でウィンブルドンを制覇した唯一の選手なんです。

ちょうど同じ年(1975)、沢松和子がアメリカののアン清村と組んで女子ダブルスを制しました。あの時会場で見ていたぼくは興奮して飛び上がりました。周りの観客も「おめでとう」といってくれたり、とにかく偶然ですが歴史的な一場面に遭遇したことに感動を覚えました。


以下WIKIPEDIA参照


沢松 和子さわまつ かずこ, 1951年 1月5日 - )は、兵庫県 西宮市 出身の元女子テニス 選手。1975年ウィンブルドン 女子ダブルス部門で、日系人 選手のアン清村 とペアを組んで優勝し、日本人女子テニス選手として史上初の4大大会 タイトルを獲得した名選手である。神戸松蔭女子学院大学 卒業。身長174cm、体重61kg、右利き。姉の沢松順子 もテニス選手で、沢松奈生子 は順子の娘である。


以前九州を一周したときは、一人旅だった。北海道は部活の連中と一緒だった。

どちらが良かったかはちっとわからない。ただ、今でも印象に残っている風景、人間は圧倒的に一人だった九州のほうだ。北大で試合があったので部の連中と一緒だった北海道一周も楽しかったように記憶している。ハチャメチャな旅だった。おかずの缶詰をごっそり持って、行く先々の食堂や素泊まりのできる宿で、米の飯だけを注文し、缶詰をあけてガツガツ食っていた記憶が印象に残っている。 楽しかったんだろうね、当時は!


そういえば金子光晴の書いた無銭旅行の本が確か’89年頃に出ていたように思って検索すると見つかった。ただし、旅の案内本ではないので間違わないで欲しい。金子の印象を独特の筆使いで描かれたものだ。


かなり昔、鳥取で出会いがあった。機関車が引っ張る各駅列車の中で、通路を挟んで互いに一人で席を占領していた。目と目が合って、どちらからともなく席を移動し、くだらない話をし始めた。

後は想像にお任せする。