きのうはひとりで食事した。

いつもは彼女と彼女の友達と私と3人で夕飯を食べる。

3人というのは、秘密の関係をカモフラージュするため。

教師と学生の恋は、禁断の恋だから。


きのうはひとりで食事をした。


先週金曜日は、彼女のバイトの日だったが、なんでも小学生の男の子が何の連絡も無しに母親とKFC(ケンタッキーフライドチキン)へ遊びに行ってしまったのだとか。

家庭教師先の小学生の家に彼女が行くと、・・・小学生はいない。

母親は事情から事前に電話の一本くらいあっても良さそうなものだが。

彼女は「火了!」(怒った)とQQのニックネーム欄の下の欄に残した。


そのドタキャンされた授業の振り替えを今日やって欲しいと連絡が午後4時くらいにあったようだ。

泰华デパートの9周年記念バーゲンに出かけていた私は彼女と待ち合わせできずに一人で食事することと

なってしまった。


22歳の英語の先生、彼女もまた忙しい。

ここへ来て3ヶ月。
そう、ここに赴任したのが今年の8月26日。
右も左も分からない外国の地へ、しかも言葉も話せない状態で、よく思い切って来たものだ。

まだまだ長い人生、1年くらいの冒険は人生の「誤差」に過ぎないと考え、1年で帰国する予定でここへきた。

他人からすれば、今の日本は不況だから職を求めて海外へ行ってしまったと移るかもしれない。
たしかに、そうかもしれない。
しかし、それは一つのきっかけに過ぎない。

高校生の時分は海外生活に強い憧れをもち、外交官になりたいと考えた。東京大学へ行き3年で外交官1種試験にパスして外交官になろうと夢見た。東大を卒業し外交官になった先輩に憧れたりもした。
しかしその夢はいつのまにか消えていった。

40歳になり、私を可愛がってくれた祖父母の墓のある田舎に戻ろうと決心したが、刺激にあふれた東京の生活と落ち着いた田舎の生活の狭間で揺れ動いているときに、ふと過去の夢を思い出した。

1年くらいなら。


初出勤。


教室を探しながら廊下歩き回っていると、カッコイイ!という声が耳に入った。スーツを着た日本人が珍しいんだとうと思ったが、さすがに悪い気はしなかった。


3429(3号棟外国学院4階29番の視聴覚教室)

私が授業をする教室に入ると、ピンク色の服をきた女子学生の姿が目に入った。
背が高く色白でスタイルが良く、私は日本で良く行った中華料理店「青松」の娘さんを思い出した。

2010年8月30日(月)午後14:40、彼女との出会いだった。