お盆には必ず、お墓から家の仏壇へと里帰りしているご先祖様たちに、毎食お供えしていた。
しきたりルールに則った決められたメニューを、これまた決められた昔のお膳や器に入れて供える。
ご先祖様をお墓にお迎えに行った日には、「お迎え団子」をお供えする。
このお迎え団子は、姑Bが目と鼻の先に住む親戚からいただくことにしていた。
(お裾分け。共同作業。作る手間が省ける、嫁同士の互助)
①朝食②昼食③オヤツ④夕食を順次、出して、ゆっくりおもてなしした後、お墓に帰ってもらう。
オヤツのあんころ餅は、昔は手作りしていたが、姑Bの代から既製品になった。
これは、すごく楽!
お膳(朱の漆塗り)は5膳出していたが、3膳になり、2膳になった。
姑B亡き後では、ルール通りの器にせず、メニューや出し方、出す時間もわたし流。
かつては、前日から泊まり込み、準備し、当時はお供えメニューの煮炊きものに追われていた。
全部のお盆おもてなし工程が終了して、ご先祖様たちをお墓に送って行くと、ほっとした。
そのタイムスケジュールも徐々に縮小され、ご先祖様たちは、滞在時間がどんどん短くタイトになっている。
誰か引き継ぐ人が目の前にいるなら、わたしは張り切って真面目に、昔通りのメニューを作る。
が、誰もいないので手抜き。
後継ぎ不在。
ではあるが、メニューは決して忘れはしない。
40年以上、姑Bから叩き込まれ、同じことをしていたので、身体で覚えている。
お膳も器も、置いている場所は昔と同じなので見失うことはない。
お盆用ではなく、お正月のお椀は、わざわざ収納してある蔵に取りに行くのは面倒なので、手近に置くことにした。
もし、次世代(継承者)がその時、目の前にいたなら、お盆用のお膳やお椀も蔵から持ち出して手近に置いてもいい、、、が、その日は、来ないか、あるいは、わたしが伝えることが出来る限界期日の前夜かなと。
多分、今、わたしがしないように、継承者は手本を見せられて知っていても、実践しないだろう。
(お正月の御節は継承されるかも知れないが)
お盆は忙しいし、皆んなが集まる日が確約できない。
お盆メニューは、継承者がいない場では実践はしないだろう。
お正月は、皆んな集まるし、御節料理は合理的メニューなため、わたしは可能な限り用意しておくと思う。
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