表現に於る政治性
岸田國士
文化人と云はれてゐるものが、他の社会の人とわかり合ふことが、ロンシャン トート
予想以上に大変だといふことを今痛切に感じてゐます。それも、われわれを他の社会、他の部門の人にわからせることが一層困難だ。他の部門の人の云ふことは、割に、わからうと努力すれば、これはわかる。われわれは、ロンシャン バッグあまり他に通じにくい言葉を使つてゐるんではないかと僕は痛切に感じるんです。いま文化部門、殊に文学芸術の畑で話してゐたものが、他の一般社会にものを云ひかけるといふ場合には、表現をもつと工夫しなければならん。お互のなかで感じ合ひ、通じ合つてゐたことをそのまゝ不用意に他の世界に使用しても、相手には通じない。その場合、僕もいまゝで罪は向うにあつて、それがわからないのは、文化的教養が彼等に欠けてゐるからだと思つてゐたが、必ずしもさうではなくて、文章を書くにも十分注意しなければならないと考へるやうになつたのです。ロンシャン 折りたたみ 文学者の言葉にしろ、文章にしろ、文字面とか、意味とか、論理的にはわからん人はないが、文章の雰囲気、言葉の調子といふものが通じないのです。文学者でなければないもの、それによつて政治を新しくしなければならぬといふことは、ロンシャン トラベルバッグ勿論云へる。また一般民衆は、文学者の云ひ方に余計魅力を感じ、その方がよくわかるといふことも事実で、僕も今の知識層の動きが、寧ろ政治の力よりも、一層民衆に対して働きかける力が大きいと思ふ。であるからこそ、政治に文化性を与へる役割は、知識層がこれを引受けなければならないし、さうすることによつて、政治を民衆に近づけ、民衆を本当に動かす力を政治にもたせるやうに、われわれは努めなければならんのです。ロンシャン 刺繍 バッグ 政府から出る公文書や声明書でも、考慮の仕方によつてはもつと大衆に近づき、もつと大衆の心に訴へさうなものがあるんぢやないかと思ひます。何とかもつとうまく云つて貰ひたいと思ふことがよくあるのだが、なかなかむづかしい。当局に注意したいんだが、ロンシャン プリアージュ向うには通じない。文章の巧拙などの問題でなく、そこに何が足りないかといふことを、本当にはつきり指摘して、訂正して貰はなければならんことですが、それは今度みたいな仕事をしてをれば、云ふ機会もあるし、云はうといふ意志もあるが、なかなかにむづかしいことです。 国民各層や或は多くの社会に於る摩擦の原因の多くは、さういふところにあると思ふんだ。つまらんことが理由で、一緒に仕事ができるものまでできなくなる。あまりこれが多過ぎるのです。
