【妖怪】つつがむし | いつしかさけり

【妖怪】つつがむし

研究費が落ちずに煩悶としているため気分転換にでも要らん事を調べていたらこんな日記を書く羽目になってしもうた。






勿論、反省はせぬ。





要らぬ知識が増えただけである。






今日はテレビでなにやら家庭医学のバラエティ番組があってしきりにダニだカビだのと叫んでいる。





ダニの死骸をアレルゲンとしてアナフィラキシーを起こすのだそうだ。






それを聞いたらこう思うた。





ダニとは何ゆえ「ダニ」というか。





解らず調べても解らなかった。





解ったことは「ダニ」はかつて「たに」という清音だったことくらいである。





また、京都の方言としてダニのことを「たにこ」と呼ぶのだそうだが、これは「たに」という言葉に小さなものを意味する「こ」という接尾語がついたものであろうと容易に想像がつく。






そもそも、ダニとは、節足動物門鋏角亜門クモ綱ダニ目に属する動物の総称である。





世界中には約2万種がいるとされ、社会の厄介者としての比喩にも使われる。






その中に「ツツガムシ」と呼ばれるダニが存在する。






漢字で書けば「恙虫」である。






ツツガムシはダニ目ツツガムシ科の総称であり、日本には100種類ほどが生息しているのだそうだ。





このダニは「ツツガムシ病リケッチア」を0.1%~3%保菌している。





保菌しているツツガムシに吸血されると「ツツガムシ病」に罹患する。






この「恙虫」は歴史としては相当の歴史を持っている。





正確に言えば、現在「ツツガムシ」とされている虫の名前の由来は古来から文献に登場してきた「恙虫」である。






そもそも「恙」は「災難・病気・憂い事」といった意味を持っている。





今で言う「恙無くお過ごしでしょうか」という手紙の文頭句が使われてる「恙」という言葉は古いのものでも中国戦国時代までさかのぼることができる。





紀元前3世紀ほどに書かれた楚国の歌「楚辞」や前漢に書かれた司馬遷の史記に「恙無し」という表現は登場する。





前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した『戦国策』には以下のようにある





「歳亦た恙無きや、民亦た恙無きや、王亦た恙無きや、と」




意味は現在と同じような意味である。





この時には、まだ、「虫」という性質を持っては居なかった。






そして、紀元後2世紀あたりに中国で勢力を誇った後漢の時代になると「恙」は虫の様相を呈するようになる。





後漢の時期に編纂された『風俗通義』には




「恙は人を嚼(か)む虫なり。善く人の心を嚼み、人、毎(つね)に之に患苦す」




という文があるのだそうだ。





そして、日本に場所を移し、時は室町。





『元和下学集』という書物の中に以下のような文がある。




「ツツガナシ(無恙):恙は人を螫(さす)虫也なり。上古の時人は未だ家屋を造る事を知らず、皆土窟に処す。このとき、彼の虫人を螫(さし)て害を為す。故に人々相慰めて問うて言う。恙無しやと」




室町時代は14世紀から16世紀であるから、この記述は本当かどうかわからない。




紀元前3年には、戦で帰れぬ祖国を案じて「恙無しや」と問うているわけで、その中には虫という意味も土窟にすむ上古の時人など想定されてすらいなかったのかも知れぬ。





19世紀江戸時代に入ると図画付きで「恙虫」という妖怪が現れる。




竹原春泉『絵本百物語』
「恙虫:むかしつつが虫といふむし有て人をさし殺しかるとぞ。されば今の世にもさはりなき事をつつがなしといへり。下学などにも見ゆ」




この「下学」とは先の『元和下学集』のことであろう。




ここでも「恙無し」の語源が触れられているが、これは完全に「下学」の受け売りであることがわかるだろう。




『和漢三才図会』
「獣恙:獅子に似ていて虎、豹及び人を食う。前漢の『神異経』によれば、これに噛まれると病気になり、帝の住まいに侵入してきたので黄帝に成敗されたとのこと。ただしこれは唐時代の伝説であろう」




江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には上記の如く書いてある。




これによると前漢の時代に「恙」には「虫」ではなく「獣」という属性が付与されていることになる。




前漢とはすなわち『史記』が編纂された時期であり、ここには「恙無し」という表現が存在する。




ならば、「恙」というものは「獣」と「虫」という2つの属性を持っていることになる。




一方は勇ましくも人間を葬り去り、一方では陰険にも影から人を噛むのである。





私が「獣」から「虫」という2つの属性を平行させ、同一時間軸の変遷として捕らえなかったのには十分な意図がある。




日光東照宮の唐門四方軒唐破風屋根には龍と「恙」が鎮座しているのである。




日光東照宮は勿論、徳川家康を祀る宮ではあるからして、江戸時代なのである。





『和漢三才図会』はしっかりと「虎、豹、人」を食うと書き記し、「恙」が百獣の王である虎よりも強いものだと明記している。




これは日光東照宮の意匠に反するものではなく、逆に肯定的な説明を付与するものである。






しかし、「虫」であろうと「獣」であろうと、人を死に陥れる事実はなんら変らない。





そして、「ツツガムシ病」と称されるダニを媒介とする感染症も最悪の場合は人を死に至らしめるのである。





『絵本百物語』に付いていた絵は長い触角、ぎょろりとた目、ムカデのようなアゴに、ハサミムシのような尾を持っている。





この妖怪「恙虫」は東北の日本海側で多く聞かれる伝承であった。





というのもツツガムシ病を媒介するアカツツガムシは当時その地域に生息し、風土病としてツツガムシ病が存在していたのである。






現在ではアカツツガムシは消滅したと考えられているが、その代わりに全国的に分布するタテツツガムシやフトゲツツガムシが新型ツツガムシ病を媒介している。





ツツガムシの症状は発熱、刺し口、発疹が見られ、また、患者の多くが倦怠感、頭痛を訴え、患者の半数には刺し口近傍の所属リンパ節、あるいは全身のリンパ節の腫脹がみられる。





発症2日目ころから体幹部を中心とした全身に、2-5mmの大きさの紅斑・丘疹状の発疹が出現し、5日目ころに消退する。




この発疹の症状や発熱、外見でわかるダニの刺し傷などから、ツツガムシ病は他の病とは分離認識されていたと考えるのが妥当であろう。





そこで、原因がわからないために人々は「恙虫」という妖怪を作り、その妖怪に原因を求めた。




実際はその妖怪こそが「科学的」にも正しい「ツツガムシ」という原因なのであったのだが。






ツツガムシはダニの一種であり、感染症を引き起こすことは衆知の事実であるが、春先の東日本大震災の被災地ではツツガムシ病への注意が勧告された。





決して過去の話ではないのである。





妖怪「恙虫」は水死体の霊だの、強盗の霊だのという付加的要素が付くが、いずれにせよ人に害為す祟り神として扱われ、祀られた。





その神名は「赤虫大明神」「島虫神」「島神」「虫神」「虫堂」(新潟県)「毛木虱大明神」(山形県)「毛木虱大権現」(秋田県)など多岐に及ぶ。







「恙虫」という名前は「病虫」という意味である。




ツツガムシ病をそのまま表現していたとは考えがたい。



先述の『風俗通義』には「善く人の心を嚼み、人、毎(つね)に之に患苦す」とある。




これは人の心を蝕んで病にすると書いてあるのだ。




このときの「恙虫」は病気一般を引き起こす怪虫なのである。 




しかし、風土病と東北の「恙虫」の伝承が重なることから、この時期には「恙虫」という「ツツガムシ病の原因虫」が生じている。




広く病の原因とされた「恙虫」という名前を引用して、その場に合わせて「風土病(ツツガムシ病)の原因である恙虫」として妖怪化し、あまつさえ「虫神」として神と崇めたのだろう。




そして、その名前は更に「科学」の名の下に引用され「ツツガムシ」という生物が誕生した。






奇妙な差異を産みながらも、「つつがむし」という名前は連綿と受け継がれてきたわけである。






以上、「つつがむし」についての考察







さて、ダニの名前の由来が知りたかったのだが、「ひだる神」という餓鬼の仲間を見つけた。



「怠い(だるい)」という言葉からきた妖怪であろう。



「だるい」の語源は英語の「dull」ではないと文献が証明している。



辻道など行き倒れの多い場所に現れ、旅人に急な空腹感や倦怠感を与えて行き倒れさせる。




舟幽霊など仲間を増やすタイプの妖怪である。




この「ひだる神」の別名に「だり」「だる」「だに」という呼称があった。




異称である「だに」は「ダニ」とは関係ないのだろうが、「倦怠感」という部分では一致している。




多分、ダニは古称「たに」であるから、「田に」でも「谷」でもいろいろな語源があるのだろうと思う。