毎日の記事「特集ワイド:季語の力 黒田杏子さんに聞く」が各方面で話題である。
http://mainichi.jp/feature/news/20130918dde012040007000c.html

何がそこまで話題なのだろうとよくよく見てみると



※※以下引用※※

被災地以外からも震災の句が届いた。広島からは<おろかなる人知なりけり原発忌><広島忌長崎忌そして福島忌>。

 広島忌(8月6日)は立秋前だから歳時記では夏の季語。長崎忌(同9日)は秋の季語。いつか原発忌、福島忌は春の季語となるのだろうか。

『多くの俳人が詠み、名句が生まれたなら、『原発忌』が歳時記に収められる日が来ます。関東大震災の後、『震災忌』という秋の季語が新たに生まれたように』。季語という形で、私たちは東日本大震災や原発事故を後世に伝えてゆくのかもしれない。

 杏子さんは震災の年、こんな句を詠んだ。

 <原発忌福島忌この世のちの世>

※※以上引用※※



という部分がある。

これは議論よぶだろうと誰もが解る部分である。
少なくとも私はそう思う。


まず何がいけないのだろう。
雑感を纏めてみる。

 ①「原発忌」「福島忌」とは何なのか
 ②「被災地以外からも」届いた俳句に「原爆忌」「福島忌」がある意味について
 ③『原爆忌』という言葉が歳時記に乗る日は来るのか
 ④この記事の反響について

ざっと感じるのは上の3点。
1つずつ見ていく。


①について
「忌日」という概念は「死」を以て成立する言葉である。福島第一原発事故によって死亡した人間が居るのだろうか。そんな人は居ない。震災忌の成立は、多くの死を以て確立しているのである。東日本大震災で亡くなった方は沢山居る。そういう考えで、震災忌の中に、関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災の3つを並べることに異は唱える所が無い。しかし、東日本大震災の際に起きた津波によって福島第一原発事故が起こった時、それは大変な事であることは揺るがないとしても、それを忌日として扱うことは無理がある。私はそう感じる。


②について
「被災地以外からも」ということば一見すると、とてもオールジャパンな気がして素晴らしく感ぜられる。けれども、外野のヤジで終始する事もある。私は良いイメージを一切感じない。


③について
本質を理解することなしに『原発忌』を使うことは悲惨な事であると考える。


④について
この記事が出たとき、Twitterでも大きな反響を呼んだ。阪大物理の教授である菊池誠先生のツイートを初めとして、多くの専門家にもリツイートされ、拡散されているうちに多くの批判の意見を見ることが出来た。以下に少し紹介する。
「感情が大きすぎてどうにもならず俳句の形まで捨てちまったように見える。俳句である意味は何だ?」
「原発と関連して福島忌って言葉を使うのは、そりゃ学校の机に『●●ちゃんのお葬式』と書く子供のイジメと同じだと思うぞ。 死んだのは福島の人ではなく、俳句を詠む人の想像力だ。」
「原発では誰も亡くなっていない!津波で命を落とした宮城や岩手の人を無視するな」
「2万人近く津波の犠牲になったのは無視ですかい。」
「個々の句はすばらしく黒田氏の言葉も穏当なものなのに、読んでいて耐えがたい嫌悪感が。
これが記者の「編集力」というものか。…こういうの読むと「文は人なり」ってホントだなと思うわ。」


ここで外してはいけない言葉をご紹介

「俳句って強いなあ、季語って強いなあ、と本当にまぶしく思いました。歳時記を手元において、毎日、少しずつ大切に読んでみようかしら、と思うくらいに。でも一方で、『福島忌』という季語が生まれつつある、というお話には、考えこみました。新しい季語が生まれることで、より言葉が力を持つ面はあるのだろうけれど、一方で、『私の暮らす土地を季語に閉じ込めないで』と感じる人もいるんじゃないか、私の故郷が福島だったら、もしかしたらそう感じてしまうんじゃないか、と。言葉の持つ力を信じつつ、「力強い言葉」の持つ危うさにも敏感でいたい、とそんな風に思いました。両方に敏感でありたいなあ、と。」

この言葉はインタビューワーのOguni Ayakoさんの言葉である
https://www.facebook.com/ayako.oguni/posts/10201122844611141



総括すると、今回の記事は非常にセンセーショナルな記事であり、批判点が多くみられる記事であることは間違いない。しかし、その中には、言葉足らずな事ゆえに、様々なことが切り離されて曲解されてしまう可能性があるという事もまた事実。

私が一番悲しかったのは「俳人叩き」であって、一つの記事が、俳句を詠む人の「品」を疑う流れを作り出してしまったことである。



そして、やっぱり、色々と考えた結果、「原爆忌」「福島忌」はありえないと思う。
もし使いたいなら、原子力発電所の現状、福島原発事故の実態、放射線の人体に与える影響など、様々な根拠を勉強してからの方がよろしいのではないか、そう思う。




最後に震災後、東北の地で詠んだ句を一つ。


海砂に傾いだ線路春茜  嘯閑