豊前では、ずいぶんと遅い開花から日数が経ち、薄紅の花も散りゆき、葉桜になってきた今日この頃。
この時期の桜を詠んだ句がある。
『散る桜 残る桜も 散る桜』
これは、曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の句だ。
辞世の句とも言われている。
春を象徴する桜の花を見ると多くの場合、ほっとするような気分になるが、この句ははなびらが散っていくそのはかなさを通して、人間のいのちについて詠っているいる。
ぼくはお坊さんであるので、時々、葬儀のご縁があるが、
衣を着て、葬儀に行くと「故人とのお別れ」という意味合いでお参りされている方が多いように見受けられる。
それは葬儀なんだから、あたりまえじゃないか。
…という人が多いとは思うが、お別れだけでなく、
葬儀の場面でいったいどれくらいの人が、
自らの死に思いを馳せるのだろうかということが気にかかる。
もちろん、これは自分も含めてだ。
葬儀は、お別れと同時に自らのいのちの有限さと、
どうにもならなさを抱えているいのちだということを確認する場でもある。
「人間はいつか死ぬ」
それは、分かりきったこと。
けれども、その「いつ」がまったくわからない。
だから、怖い。
怖いからフタをする。
フタをすれば、見えなくなるかもしれないけれど、
なくなったわけじゃない。
ひょっこり向こうから顔を出して、
「やあ」とまるで友人のような気軽さで
突如目の前に現れる。
そんなに近くにあるのに、
なぜか遠くに感じる。
う~ん。
なんだか、なぞなぞみたいになってきた。
今を生きている私も散る桜。
そのことを散った桜に教えられたが、
最後に大事なことをもう一つ。
散った花びらは空中に消えゆくのではなく、しっかり地面に受け止められている。
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