「恥」の文化がない中国~落ちている物を取ってもかまわない~ | タマタマ来ただけ~中国教育事情と社会をお伝えします~

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中国で日本語教師をしていたタマのブログ
2014年7月帰国しました。

中国の某地で日本語教師をしていたタマと申します。
教育という観点から見えてくる中国の生の姿をお伝えしたいと思っています。

タマタマ来ただけ~中国教育事情と社会をお伝えします~

天気がいいのでバス停で洗濯物を干したり、日光消毒したり。

 

 

 

「日本には恥の概念がありますね」

 

中国人のマナー違反と日本人のマナーについて中国の学生と話していると、「日本には恥の文化がありますから」と言われます。

 だから日本人はマナーがいいのだと。

 「日本には恥の文化がある」というのは、欧米系の研究者の著書を読んだ日本語学習者がよく言う言葉です。

 知っている知識を言っているのですが、その言葉をさらっという学生にちょっと違和感を感じます。

 「それって中国には“恥”の概念がないってこと?」と。

 「語るに落ちた」とまでは言いませんが、思考が無く知識の提示だけでコミュニケーションをとる中国人は、度々こうして無意識のうちに自分たちの素養を「白状」をすることがあります。

 

中国には恥の概念がない

 

 実際、中国には「恥」の概念はないと言っていいと思います。

 「恥」の概念があれば、既に言われているようなマナー違反、特に海外におけるマナー違反は無くなっているに違いないからです。

 

忘れ物・落とし物を持っていく

 

 「恥の概念」の延長線上で、「そんなことして恥ずかしくないの?」と学生にぶつけた疑問に、「どうして落ちている物をとるんですか?」というのがあります。

 「落ちている物」と言っても、本当に道に落ちている物だけでなく、「人が忘れた物」も含みます。

 私自身、USBのメモリを視聴覚教室に置き忘れて、半日して取りに戻ったらもう無くなっていたと言うこともあります。

 同僚の教師は、レストランの屋外のテーブルに携帯を置き忘れ、わずか5分後に気づいて取りに戻っても、もうなかったそうです。

 

取られた方が悪い

 

 こういう話を中国の学生にすると「それは忘れた方が悪い」と来るわけです。

 「取った人間が悪いんじゃないんですか?」と確認しても、「いいえ忘れた方が悪いです」とくり返し言われます。

 「騙す」ことについても「騙された方が悪い」というぐらいですから、彼らの感覚はこのようなわけです。

 例えば道にお金が落ちていても、「誰も見ていなかったら持っていっていい」と平気で言います。

 お客が家に来て、お客が帰った後お金が落ちていたら「一応聞く」そうです・・・。

 

「自分のものではない」なのか「誰のものでもない」なのか

 

 日本人と中国人の感覚の違いに「公共」に対する感覚の違いがあると言いますが、これも一端を示していると思います。

 日本人の場合は道に落ちている物を、「自分の物じゃない」という認識から始めます。

 だからレストランにカバンをおきっぱなしにしても、自転車のカゴに物を入れて置いても、簡単に取られることはありません。

 私は自転車のカゴに市場で買った野菜を入れておいたままスーパーに入ったところ、出てきたら見事に無くなっていました。

 次に袋にワイヤロックを通して自転車のカゴに入れておいたところ、飛び出ていた長ネギだけ抜かれていたと言うことがありました。

 学生には笑い話として話す実体験のネタですが、取られる頻度の多さに驚きます。

 しかし、中国人は落ちている物を、「放置してある=誰のものでもない」という認識から始まるのです。

 「所有者がいない=自分が所有者になってもいい」という感覚です。

 誰のものでもない物は「早い者勝ち」という感覚もあると思います。

 中国における様々な問題が、これによって理解できることもあります。

 「公共」の物も、彼らにとっても誰のものでもないという認識になってしまっているのです。

 されに言えば「公共=誰ものものでもない」つまりは「自分の物」という考えになっているのでしょう。

 

「自分の物じゃないから盗らない」が理解できない

 

 

 「日本人はどうして持っていかないんですか」と学生から言われるので(これを言われるのもすごいですが)、「“自分の物じゃない”という感覚があれば“道に落ちている(=自分のものではない)物”を持っていく事はない」といっても全然納得しません。

 

 せめて「そうですよね」とでも言ってくれれば救われるのですが、「どうしてですか?」の連発です。

 これらが日本で東日本大震災が起き、略奪が起きないことをきっかけに始まったた話題だした。

 すると学生が「津波で誰の物かわからない車やなにかが先生の家の前に流れてきたらどうしますか?」などと聞きます。

 つまり「それなら取るでしょう?」というニュアンスです。

 まあ車がどこに流されようが車体番号などから所有者がわかるという点はおいといて、「自分の物じゃないとわかっている以上取らない」と答えると、「本当ですか?」と疑いの目で見られる始末です。

 東日本大震災の津波で流されたお金の入った金庫が持ち主の元に戻るなんて話は、彼らにとってはどこかのパラレルワールドの世界の話でしかなく、一生理解できない話なのです。

 

「モラル」だけでなく、「他人のことを思いやれない」

 

 私たちにとって大事なのは、自分のものではない=他人の物であるということです。

 自分も物ではないですから、もともと無かったものです。

 つまり持って行かなくても「損はしない」わけです。

 また、他人の物であると言うことは、それを自分の物にしてしまえば、どこかの誰かが「不利益」を被るということです。

 他人が忘れた物・落ちている物を取らなくたって「損をするわけではない」し、取っていけば「誰かが損をするかもしれない」ということが、取らないことを制御している、そういう一面もあるかと思います。

 「自分がいやなことは他人にしない」にも通じるでしょうか。

 落ちている物取るというのは、簡単に「モラル」の一言でかたづけることもできます。

 しかし、中国人を理解する上では「モラル」の前に「人を思いやる」「人の立場に立つ」といった思考が無いことをも知っておくべきだと思います。

 

こうした人達を他国の社会は受け入れていくのか

 

 大学生というのは、中国ではそれなりに親もお金を持っています。

 私が話をする学生というのは、お金持ちかそれなりに経済的余裕がある家庭の子供です。

 さて、こうした大学生が卒業後他国に行ったりするわけです。

 受け入れる国でこういう学生が増えると、その社会はどうなってしまうでしょうか。

 

 

 

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