JYJ,1年間のワールドツアー仕上げ…そして彼らを囲んだ光と影(TOP STAR NEWS) | XIAHSTAR

JYJ,1年間のワールドツアー仕上げ…そして彼らを囲んだ光と影(TOP STAR NEWS)

長いですが(翻訳が変なところもあるかもしれません><)
ぜひ読んでもらいたい記事です

これを読む終わったとき
彼らを誇らしく思う気持ちは今以上に~

そして彼らの人となりを愛し

彼らの音楽を応援し続けていく
その力がたくさん湧くと思います


パク・ジヒョン記者が“ヴォルデモート”を
引き合いに出していますが
私もそう思ったことがありました

誰もが判っているのに名前を言えない

でもハリーは言い
ハリーを助ける人々も
いつしか名前を口にして
敢然と立ち向かっていきました

そしてヴォルデモートはどうなったか・・・




JYJ

彼らの後ろに道は出来るのですね~☆







記事はこちらです

http://www.topstarnews.net/n_news/news/view.html?no=7516&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter#.T1_rbGs93wk.twitter


TOP STAR NEWS

2012/03/14 07:11記事編集/パク・ジヒョン記者

JYJ,1年間のワールドツアー仕上げ…そして彼らを囲んだ光と影


グループJYJがチリとペルーを最後に1年間のワールドツアーの大長征に終止符を打った。 昨年4月タイを始めアジア、アメリカ、ヨーロッパ、南米を合わせて総15ヶ国、21万人余り動員の記録を立てて名実共にワールドツアーの姿を見せた。 海外でも有名だという-よく話すK-pop歌手-歌手もまだ行かない道をJYJが‘最初’、そして‘単独’でやり遂げたのだ。


約1~2年前から急速にTVと新聞では‘K-pop熱風’という単語を使い始めた。 特にSMTOWNパリ公演以後このような単語は国民の目と耳にさらに多く接することができた。 だが、彼らはどんな企画会社の団体公演で満たされた公演でなくひたすら‘JYJの歌’でだけ満たされた公演でこのような結果を産んだことに対して初めてだとまだ不十分な点があるだろうが注意深く見なければならないだろう。


最近日本ではカラー(KARA),少女時代(Girl's Generation)等を始めとした韓流熱風を通じて大多数のアイドル グループが日本に進出した状態だ。 それと共に自然に韓国歌手の団体公演もたくさん成り立っている。 だが、いくつかの公演を見れば単に名前だけ‘K-pop’と付けて国内はもちろん日本でも知らていない歌手が出てきて公演をするにも関わらず7千円から9千円の間の高い価格の入場料を受け取って公演を広げたことがある。 もちろん客席はがらんと空いていた。 SNSを通じてみたその光景は‘韓流’という名前に恥をもたらす凶運をあたえる程度であった。 だがJYJはこのような国内外的な雰囲気に便乗しないでひたすら彼らの音楽と名前で国内では初めてカメリカ地域とスペインとドイツ、そして南米で公演を広げた。 南米公演が確定したという便りが知らされるとすぐにメキシコではJYJの公演を開いてほしいというデモまで起きた。


ところで本来彼らの本拠地でありメイン舞台にならなければならない韓国と日本では彼らの姿と公演を見ることはできない。 前所属会社であったSMエンターテインメントとの訴訟と日本所属会社であったAVEX社が密かに(とトラで下記にはとてもらしくなるが)彼らの活動に制約をかけているためだ。 この前ファンたちと共にしたあるファンミーティングでJYJメンバーは"直ちにコンサートをしたくても場所からスタッフ構成など制約がとても多くて国内でコンサートをし難い"と話したことがあった。 また、アルバム流通もやはり快く立ち上がって流通する会社がなくてアルバムが何ヶ月ずつ発売が延ばされることがこれらには一度や二度ではなかった。


また、日本では公演会場所を戴冠してあげることにした所で突然に戴冠不可通知をおろして、コンサートの場所を秘密にして当日公演に参加する観客にだけ知らせる‘007作戦’をほうふつさせる程の公演を進めたこともあった。 一例で昨年秋日本、茨城で開かれた‘JYJ Unforgetable Live’の場合、公演準備から多くの迂余曲折があった公演だった。 前売りサイトのハッキング、バス大節会社の突然の取り消しなど理由の分からないことが続けて起きて一部では日本での所属会社であったAVEX側で妨害があるのではないのかという話まで出てきた公演だった。 (公演後茨城市長と公務員、警察などに圧力を加えて、音響、コンサート装備業者に生計威嚇の脅迫まであったという後記が次から次へ上がってきた。) とうてい彼らの活動の主舞台であった韓国と日本での公演を進めるのが難しいのを実感してその誰も気を使わなかった所に向かって方向を定めた。


それがアメリカとヨーロッパ、そして南米での公演だった。 事実アメリカ地域の場合、2010年発売された‘The Beginning’アルバム発売後無料でショーケースを進めたことがあった。 その当時アメリカ地域のJYJに向かった熱い関心を確認してアジアに続き二番目にワールド ツアーを進めた所がアメリカ地域だった。


すべての公演会場が満杯になって、ツアーは世界的なプロモーション企画会社であるAEGライブと手を握って進行されたしサムスンがメイン スポンサーを担当した。 この報せに接した後全く韓国と日本での公演とはたくさん違う姿だと考えられた。 韓国と日本で開かれたJYJの公演にはどんな企業もさっさと協賛をしないでいる状況であるためだ。 アメリカ公演を通じて自信を得た彼らは6月、韓国での公演を広げた。 だが、場所はソウルでない釜山(プサン)と光州(クァンジュ)であった



事実多くの歌手は全国ツアーではない以上地方での公演を広げない。 JYJメンバーが身を置いた旧東方神起の時にも彼らの名前を持ち出してソウル以外の地方でただ一回も開催したことがなかった。 彼らの公演の時ごとに地方各地でファンたちはバスを貸切にしてソウルにやって来て公演を見て再び帰って行った。 だが、今回はかえって全国のファンたちが釜山(プサン)と光州(クァンジュ)で公演のために降りて行く‘珍しい風景’が繰り広げられた。 これはソウルはさて置き首都圏では彼らに公演会場を渡すことができる所がただ一箇所もないということを反証する姿だった。 だがJYJは地方公演であるのに3度の公演を広げて24,000人余りのファンたちを集めた。

韓国での公演を最後にワールドツアーが仕上げされて、新しいアルバムと共にファンたちに飛んできた便りは驚くべきであることだった。 すぐにスペインとドイツでの公演の便りだった。 事実ヨーロッパでの韓国歌手の認知度は微々たる程度だ。 以前までヨーロッパでアイドル歌手が公演を広げたことはSMTOWNが唯一だった。 だが、彼らの公演は政府の全面的な支援と国内媒体が先を争うように伝えた‘K-pop’熱風等でよく包装された‘中空の菓子’に過ぎなかった。 公演会場の大部分は東洋系とヒスパニック系の観客らと一部現地の該当企画会社のファンたちが満たしたという現地海外同胞の話が聞こえてきた。


だがJYJは何万人の大規模な公演でない小規模の公演で始めた。 スペインとドイツ各3,000人余りの人員で彼らはヨーロッパで初めての単独コンサートを開いたのだ。 他の見方をすれば5万人余りがぎっしり埋まった東京ドーム舞台にも上がった彼らに小さい舞台だったかも分からない。 だが、今のJYJにはこのような小さい舞台一つ一つが大切な舞台であった。 このようにJYJがヨーロッパで公演をしていた当時韓国のインターネット上ではJYJのヨーロッパ公演会場が言論の報道とは違ってがらんと空いたという論議がおきた。 何枚の写真と共に上がってきた論議は初めてその写真がつけられた時点が公演が終わって多くの観客は公演会場を抜け出た後最後までアンコールをもう一度するように願って待ったファンたちだった。 そのようにして韓国アイドル歌手中初めてスペインとドイツでの単独コンサートを成功裏に終えたJYJは韓国に戻ってミュージカルとドラマなど個人活動準備に入った。


だが、数ヶ月後南米で公演が開かれるという意外な便りがもう一度飛び込んだ。 南米の場合JYJ以前には昨年12月BEAST,4minute等が所属したユナイテッドキューブ公演がブラジルで一度あったのが全であった。 彼らはもう一度他の歌手は一度も行かない道を切り開いていった。 ファンたちとJYJメンバー、スタッフが期待を持って南米に発った後国内の媒体は南米に発つこれらの姿を報道することはおろか2~3年前訴訟直後の映像と音声で沸きかえるようにさせた。 すなわちサセン論議だった。


それもこれらが南米に発った直後さく烈した事件だった。 JYJの名前の値段ぐらい後日の暴風が大きかったこの論議に対して大多数の媒体はサセンファンという名前で報道したがサセンがJYJメンバーに行ったことは‘ファン’という名前を付けることよりかえって‘犯罪者’という名前が似合うほど一般的な常識ではとうていできない仕事だった。 メンバーを殴って、男性専用サウナで寝るメンバーの写真を撮るのは基本だった。 わざと交通事故を出すなどデビュー直後から現在まで絶えずペンダムで腐ってきた膿がさく烈した瞬間だった。 これに対しJYJのペンダムでは‘サセン’あるいは‘サセンペン’という表現でない‘サセン犯(サセンという話と犯罪者の合成語)’という話まで作って‘セサン犯’の蛮行に対してSNSとブログ等を通して知らせた。


最初に報道した媒体の意図が何だっただろうが大多数の媒体ではJYJの誤りだと話すことより‘サセン’の問題をより一層大きく報道した。 ある媒体では‘サセン犯’という表現まで出てきたほどであった。

サセンの行動は"窓枠の監獄"


迂余曲折の中にペルーに到着して記者懇談会を開いたJYJメンバーは公演の期待感で浮き立った表情でない重い表情で記者懇談会場に入場して公演に対する話とともに韓国での‘サセン’論議に対して口を開いた。 メンバーはサセンの行動に対して‘窓枠監獄’という表現をした。 引き続きJYJメンバーは"いくら避けようと努めても足踏みだっただけ、精神的な苦痛だけ増えた"と話した。 "初めにはファンたちの愛で、これらやはり自分たちを好きなファンだと自ら慰めてこらえようとしたが日が進むにつれ程度は高まって行ったし日常が崩れて言葉で表現できない苦痛に陥って少なくとも最小限ではあるがその苦痛から抜け出したかった"と付け加えた。 結局これらは"過去の正しくない行動に対して謝罪の言葉を申し上げる"として頭を下げた。 生まれて一度も行ってみなかった南米での公演を控えて公演に対する期待感と抱負をいわなければならなかった記者懇談会がかえって韓国で起こった論議の解明と謝罪の場に変質されたのだ。




だがJYJはこのような論議らと非難の中でチリとペルー公演を盛況裡に終えた。 ペルーとチリでの公演で9,000人余りの観客を集めたのだ。 特に公演の最後の場所だったペルーの場合、入国の時からファンたちが集まって空港側でVIP通路を利用して空港を抜け出るようにするほどであった。 国内では夢にも思わなくなっている空中波で特集放送が放映されて、ロヒト、チリCNNなどではこれらの訪問と公演に対して大きく報道した。 これに対しJYJは日本で発売されたキム・ジュンスソロ シングルだった‘Intoxication’まで歌って南米公演に最善を尽くした。


その結果現地のファンたちは熱狂したし、現場で失神するファンたちまで続出した。 ペルー公演当時取材に行った記者たちに写真要請をするファンたちが出てきた程に南米ファンたちに韓国からきたJYJとこれら一行は一生にただ一度あるかないかもしれないと思った‘一生一代の事件’だった。 このように多くの話を残して彼らの初めての正式ワールドツアーは幕を下ろした。


今回のワールドツアーを終えてJYJのエージェントを受け持っているC-JESエンターテインメントのペク・チャンジュ代表は"JYJなのでワールドツアーが可能だった。 彼らの人気は世界どこの国でも単独公演が可能なほどすごい。 私たちは自信を得たしノウハウを得ることになった。 これがすぐに来年ツアーが期待される理由だ"と話した。


韓国言論ではその間これらの歩みに対して‘K-pop熱風’という表現を使いながら彼らだけの‘K-pop’に便乗させて報道してきた。 しかしJYJのワールドツアーは記事の冒頭でも話したように現在の世界あちこちで開かれる‘音楽放送式団体公演’でないひたすら‘JYJの音楽’にだけ繰り広げられたという点で大きい意義を置かなければならないだろう。 ファンたちが表現した‘K-pop’でない‘JYJ-pop’で作り出した結果である。

だが、このように韓国アーティストで最初にワールドツアーを成功させたJYJに国内放送界の視線は冷たいだけだ。 大型企画会社のうるさくてこれらの名前は言及さえできないことがJYJの現実だ。 あたかも映画‘ハリーポッター’に出てくる‘ヴォルデモート’のように話だ。 これらの自由な演芸活動が法的に保障する内容の仮処分結果が出て1年が過ぎた今が時点までまだJYJは歌手として放送に出てきたことではなくて、ドラマ出演と演技大賞の祝い舞台と大邱(テグ)陸上選手権大会が全部であった。 だが、これさえも放送直前まで安心してJYJの出演を見守ることができないことが現実だ。


海外では国賓待遇を受けるほどグループはもちろんメンバー個人的にも人気を得ているけれど国内では歌手でない演技者とミュージカル俳優でメンバー一人一人の活動がさらに浮び上がっている現実だ。 もちろんJYJというグループとしての人気もすごいが歌手にもかかわらず思いのままにアルバムを発売できなくて、音楽放送に出てくるのは夢にも思えなくなっている現実が残念なだけだ。 今後前所属会社であったSMエンターテインメントとの訴訟がどれくらいさらに行くかは分からないが、一日もはやく彼らが自由に放送で歌う日がくることを期待している。