子供の頃、私には
父方の
「本宅のおじいちゃん」
「本宅のおばあちゃん」
母方の
「A(地名)のおじいちゃん」
「A(地名)のおばあちゃん」
がおり
その他に
「東京のおばあちゃん」
がいました
子供だったので
何の不思議も感じず
そう呼んでいました
「東京のおばあちゃん」は
自分の子供達家族と
(母は妹・弟と呼んでいました)
一緒に泊まりに来ては
障子のさんを
人差し指でスッとなぞり
母に見せて嫌みを言うので
私は苦手でした
4、5歳の頃の夜
幼稚園の制服を着て
母に連れられて
知らない家に行きました
そこには
高齢男性が
布団に横になっていました
『すのすのか?』
その高齢男性は
私の方に手を伸ばしてきました
母が言います
『すのすののおじいちゃんだよ』
そう言われても
初めて会う人なので
ぎこちなく挨拶しながら
確か手を握ったあとは
後ろへ下がりました
母は泣いていました
布団の側には
ニコリともせずに
黙ったままの高齢女性が
座っていました
確か……
着物を着ていた様な
髪をアップしていた様な
ほっそりとした美形の人
布団の中の高齢男性の事は
よく覚えていないけれど
その高齢女性の雰囲気は
なぜか 何となく覚えてる
その後、少し大きくなってから
母の実父があの高齢男性で
母の実母が「東京のおばあちゃん」
高齢男性は
「東京のおばあちゃん」と
別れたあと再婚したけれど
子供に恵まれず養子をもらったと
だから
高齢男性の実子は
私の母だけで
実の孫は、私と兄だけ
あの夜は
高齢男性がもう長くないだろうと
連絡があったので行ったのだと
「東京のおばあちゃん」の姉が
「A(地名)のおばあちゃん」で
母は小学生低学年くらいの時から
Aの家で育ったのだと聞きました
苦労したと
同い年の子供がいたので
食べ物、着る物の差別等
とても苦労したと
学校へも行かせてもらえず
Aの家の弟や妹を背負い
学校の窓から聞こえる
先生の声で勉強したと
それでも 負けず嫌いの母は
運動以外は一番だったと
(母の同級生から聞きました)
見かねた先生が
「お金を出してあげるから
上の学校へ行きなさい」
と言ってくれたと
Aの家を抜け出して
先生との待ち合わせ場所へ
行くはずが
育ててもらった恩を感じ
その場所へ行けなかったと
何度となく
母は思い出話をしながら涙し
TV「おしん」を視ていると
まるで自分の様だと
また涙してた
親元で育つ事が出来た私には
想像もつかない苦労だと思うけど
私だったら
成長したあとでも
「東京のおばあちゃん」を
受け入れられただろうか
先生との待ち合わせ場所へ
ためらいなく行っただろうか
今、手元には
「東京のおばあちゃん」の形見
金のネックレスがあります
身につけたりしていないけど
私も娘に渡すのかな
その時に
いきさつを話すのかな
娘は話を
聞いていないと思うけどね(笑)
親ガチャ?