28年前…
1991年 2月 9日
この日も土曜日だった 今日気づいた
妊娠8ヶ月だった私は
朝起きて しばらくたってから
身体の一部が動かなくなる
突発性の病気になっていたことに気づいた
不安を夫へ伝えても
動かない部分を見て
『ふざけているんじゃないよ!』
と、相手にしてくれなかった
かかりつけの産婦人科へ行った
看護婦が注射をすると言うので
妊娠中で不安だと告げると
『嫌なら注射しませんけど?』
と、脅された(気分がした)
注射は断った
大きい病院への紹介状を書いてくれたが
今日9日は土曜日
明日10日は日曜日
明後日11日は建国記念日で祭日
12日までが 長かった
大きいお腹を抱えて泣いた
夫は 再度
『ふざけているんじゃないよ!』
と背を向けて言った
この時の対応には
いまだに しこりとなって残っている
大きい病院の診察の結果
出産までは(身体へ負担の少ない)軽い点滴
『出産後にまた考えましょう』
との事
仕事も辞めて
運転も出来ず
上の子の世話も出来ず
出産後に聞いたのは
大きい病院が
私の症状を学会で発表していた
との事
次の患者の為の研究なら良いが
まずは、目の前の患者に
真摯に対応して欲しかった
出産まで、軽い点滴の通院時
医者は 経過観察と写真保存だけだし
看護婦は
『治らなくても仕方ないでしょ?
だって、突発性なんだから』
としか言わなかった
「あの時は大変だった
でも、無事に生まれてくれて良かった」
そう呟くのを
今年28歳を迎える娘は嫌がる
強いステロイド剤の点滴をすれば
治ったかもしれないのに
子供への影響を考えて
それをしなかったから…
自分のせい
そう言われているようで嫌だって
そんなつもりはなく ただ
一緒に泣いて喜んで欲しいだけなんだけど
誰にも甘えられないんだなぁ(´~`)
だから
強い女になっちゃったのかな(*`艸´)