離れた部屋から言いあいをしている声
うわっとイヤな感情がくる
出ていくのをやめよう
そう思った自分に気づく
ここで出ていったら
面倒にまきこまれる
どこにいっても言い争う人たち
どこにいっても大きな声で
自分勝手に主張する人たち
イライラした声のエネルギー
言い争うのはイヤ
大きな声はこわい
また当たられる
あ~まただ
やっぱり来なきゃよかったかなぁ
どうせまだ起きてこないのか?
って騒いでいるんだろうな
そんなことを考えてた
自然と無意識に
しばらくすると
声のトーンが落ち着いてきた
あれ?言い争いじゃなくて
話してただけ?
そもそも声が大きいんだもんな
話し声が止まった
あー話してただけかも
大きな声で怒鳴っていると
瞬時に自分に怒っていると感じてしまう
これも体に染み付いた反応
ひとつひとつ
手動で直していく
まだまだ沢山ある
まずは
私は何をしても怒られる人
から
何をしても喜ばれる
に変換してから
おはよう😊
って出ていくこと
私は愛されている
いちいち書きかえ
私が出ていったらみんな喜ぶ!
そう書き換えて出ていくのと
どうせ怒られる イヤな思いをする
と思って出ていくのと
全然違うよね!!
そんなことを考えているうちに
母がきて
起きてたの?
じじがこっちで寝たいから部屋交代して。と
朝3時から活動しているじじ(母の再婚相手)は
もう昼寝の時間らしい
あー、なんだ。
顔つき会わせて気まずい思いをしなくていいのか。
そもそも気まずいと思ってるのも
私の前提で
全ては前提が生み出してる現実
今日は雨でどんより
気まずい前提の家の中も気分が落ちるので
一人で家を出て、スタバでひと息ついた
車で来て良かった〰️〰️〰️
フラッと一人になれるのが
やっぱりいい💖
自由がなによりだと
何度でも思う
今 しあわせだわ~🍀
ちょっと近づいては修正
疲れたら離れる
無理せず
逃げちゃいけない!とか思ったら
即刻逃げて〰️
ちょっとずつ
小さな頃からの
恐れや不安や勘違いを
ひとつ ひとつ
修正していく
地味な作業をつづけていく
そして
何もないかのように
楽しく過ごしてもいい
古傷に気づいて
癒してもいい
傷のある人として生きない
いや、ない人なんていないのだ
傷があることにフォーカスしないで
生きていくってことかな
傷なんかないわ
と生きてもいいし
どんな風に生きるか
今どんな呈でいるのか
すべて自分で選んでいいんだよ
小さなことに囚われている私へ