すごく久しぶりの投稿になります。
「梅雨明け10日」という言葉もあり、私は毎年7月最終週に夏休みをとってます。
今年も7/27~31まで休暇取得して、土日連ねて9連休にしました。
ところで、今、アマプラで真田丸がやっていて10年ぶりに見ていたのですが、信州に行くなら真田の城めくりをしてみようと思い、今回の旅行までに最終話まで一気に見ました。
という訳で、今回の長野旅行は中山道方面で沼田から入ります。
北条氏との因縁の沼田城
北条氏が攻めたことで小田原征伐が始まった名胡桃城
真田真幸が武田勝頼を迎えようとした岩櫃城
小諸城は真田関係ないかな。
徳川の大軍を2度も撃退した上田城
真田三代の郷とか書いてるけど、上田城は昌幸の代で幸隆の時代にはなかったし、幸村(信繁)は城主になったことはなくて、兄の信幸(信之)なんだけどな。
やはり、真田といえば幸村が一番有名なんですね。
この日はその後、松本まで行き、その後塩尻の健康ランドで宿泊(仮眠)しました。
次の日は大町で不動産屋さんとお話ししたりした後に
翌日の登山のため扇沢手前の柏原新道登山口で車中泊です。
駐車場は現在橋梁工事の関係で半分に減ってます。土日は朝では厳しいでしょうね。
今回は車中泊用のベッドを導入して、就寝します。(あまり寝心地は良くなかったな)
なおクーラー完備なのですが、標高1500mほどの車中泊は十分寒くて不要でした。
朝、CO2センサー見たら、5516ppmという驚きの数値。換気対策必要だな。
天気はまずまず
柏原新道登山口から入山
扇沢駅が小さく見えます。
ガラ場を抜けて
鉄砲坂を越えて
種池山荘に到着。爺が岳南峰が見えています。
まずは南峰に向かいます。
到着しました。ここまでは天気よかったです。
おおまぴょんの頭は爺が岳なので、右が南峰、真ん中が中峰です。
左の北峰は高山植物保護のため立入禁止でした。
冷池山荘が雲間に見えてきます。
11時前に到着。
晴れていたら鹿島槍まで往復するところですが明日に期待してやめにします。
夕食はこんな感じ
朝食は弁当にして、ちらし寿司です。
さて、次の日ですが、残念ながら朝から雨でした。
6時ごろに小降りになったので鹿島槍に向かいます。
小屋にはそれなりに泊まってましたが、その時間に私以外に向かう人はいなかったです。
途中でライチョウ親子に遭遇します。
こんなに長いことライチョウと触れ合えたのは初めてでした。
雨だから私が見えにくいのか、警戒が薄いのか、何でしょうね?
昨日以上の風雨の中、なんとか鹿島槍まで行って、
冷池山荘に戻りました。
デポしていた荷物を回収して下山します。
下山すると天気が回復していきます。針ノ木や蓮華岳がよく見えてます。
登山口に戻って来ました。
下界に下りて稜線見ると爺が岳は完全に見えてました。1日間違えたようでした。
さて、次の日は長野市方面に行きます。
川中島古戦場。川中島って、善光寺平のことだったんですね。
松代城
真田信幸が上田から入封されたのが松代で、明治維新まで続いたようです。
そして、長いこと行ってみたいと思っていたのがここ。
松代大本営 象山地下壕です。
先の大戦で本土決戦で東京陥落の折にはここに皇居を移して徹底抗戦するために作られたと。
これを大戦末期の物資も食糧もない中、手掘りで作ったとかすごいです。
いったん松本方面に戻りましたが、
山道走っているうちに見つけたマイナーな城を探したりしているうちに
長野市側の姥捨の棚田に出ます。
近くの見晴らしの良い食堂で昼食
天ざるをいただきました。
その後、真田発祥の地には行きそびれていたことを思い出し、再度上田に向かいます。
真田山にある真田氏本城です。
上田城ができるまではここが真田の根拠地だったようですから、真田丸で出てくる野山のシーンはこの辺りなんでしょうか。
さて、最後に松本に寄ってから東京に帰るのですが、途中美ヶ原高原経由で行きました。
美ヶ原といえば、もう10年も前になるこのデスライド以来になります。
あの時、ずぶ濡れになって走った道を10年越しに走ります。
観光センターにやってきました。
今回はもう閉まってましたが、まあリベンジ達成ということにしておきます。
美鈴湖まで下り、松本経由で東京に戻りました。
さて、今回の旅の給油記録です。
軽自動車なのでタンクが小さく4回も給油しました。山道多くて燃費が良くないです。
走行距離も900kmくらいになっていて、信濃路を走り倒した感じです。
さて、東京に戻った次の日
駅前の温度計は38度を指していました。長野帰りにはきつかったです。














































