大学生になって携帯に触れる機会が格段に増えた。
授業内容、変更、連絡、隙間時間のYouTube。
雑音を消そうと適当につける音楽。
今か今かと待ち侘びてるラインの通知。
どれもこれも生産性のない、無駄な行為に感じられて仕方なくて、辞めたいなと思い始めた。
影響で読書をよくするようになってから
携帯で得られる情報には良くも悪くも偏りがあって、そしてすぐに手に入ってしまう。
手に入れるまでの過程が全て省かれて、答えだけを手にしてしまうことに、危機感を覚えた。
何もなし得てないのに、知ったような気になってしまう。
それにこうした「慣れ」には、集中力の低下、忍耐力の低下をもたらすのではないかと
深刻に危惧している。
大学生たるもの最大で100分以上着席した状態で授業を受けるわけだが、
その100分を耐えられず、離席する人、最初から最後まで携帯を触っている人、本当に多いんだ。
携帯を触りに大学に来てるのかい?って思ってしまうほどに。
つまり訓練する場を奪われてる気がする。せっかく4年間も集中力を高める訓練ができて、
有益な勉強をすることができるのに、それを生かさない手はないでしょ。
読書もそう。本を借りようと図書館に行くも、課題や読書をしている人はあまりいない。
だいたい携帯を触ってる。怖い。
こういう環境に慣れないために、警鐘を鳴らすために
私はあえて不便を楽しみたい。小さい頃は携帯なんかなくても人生楽しかった。
知りすぎるってのは、いい面だけでもないのだろうな。
実際現代で携帯を所持しないというのは不可能に近い。
ので、余計なアプリは消すとか、自分の人生を生きるための道具くらいに思って使用するとか。
利用されるんではなくて、こっちが利用してやるくらいの気持ちでいないとね。
せっかく文字が読めて言語を操れるんだから、
読書したり、苦労した過程を大切にしたいと思う。