41歳で乳がんトリプルネガティブ ステージ2Aになった妻を支える40歳膵炎になった夫と7ヶ月息子の闘病日記

41歳で乳がんトリプルネガティブ ステージ2Aになった妻を支える40歳膵炎になった夫と7ヶ月息子の闘病日記

41歳で乳がんトリプルネガティブ ステージ2Aになった妻。そして生後7ヶ月の男の子がいる中での闘病生活がスタートする。
がんサバイバーになる妻をひたすら全力で支える40歳で膵炎になった夫の闘病日記です。


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今日は朝から雨と天気は良くないが

もろもろと買い出しに行ってきた。

 

9時からドン・キホーテで洗剤などを大量にまとめ買い。

これでしばらくは買いにいかなくてもすむかな。

 

そして、10時オープンを狙ってアカチャン本舗へ。

息子くんのおむつ、おしりふきなどこれまた大量に箱買い。

 

そのあと、スーパーで食材とお昼ごはんを買ってきましたー。

やっぱり日曜ということもあって人が多かったですね。。

 

抗がん剤の前に感染したらもともこも無いので

用事だけすませてサクッと帰宅!

 

うちの車のトランクいっぱいに買い出ししてきました!

 

 

そして、息子くんが昨晩よりちょっと風邪気味。

どうも鼻水が出ているので

夜中もなんどか鼻吸い機の登場。

 

でもこの鼻吸い機、息子くん大嫌い。

7ヶ月とは思えない力で全力で拒否。泣きわめく。

二人ががりで抑え込んでなんとか。

 

毎回、毎回 鼻吸い機との戦いを繰り広げています。

 

 

プロフィールにも記載しましたが

妻は2022年現在 41歳 7ヶ月の息子を持つ母です。

 

結婚して15年、ずっと二人だけの生活を楽しんできましたが年齢もあって

そろそろ子供をと真剣に考えはじめ

一度流産を経験した後、不妊治療を継続し体外受精で息子を授かりました。

 

ふたりとも41歳の同級生。そして初めての子育て。

とても幸せで楽しい家族3人の生活がスタートし、私は幸せの絶頂を毎日を噛み締めていました。

 

 

  マンモグラフィーを受けるまで

 

2022年の年を迎え、正月休みが落ち着いた頃

妻から、「マンモ予約したから 〇〇(息子)を見ててね!」といった感じで妻が話してきました。

 

実は妻の母、妻の祖母も乳がんをやっておりふたりとも切除をして完治

再発もないまま妻の母は今も元気です(違う病気はありますが)

なので、妻は毎年欠かさずにマンモグラフィーを受けてきた。

 

それが、妊娠をし出産をしたことで

約2年間マンモグラフィーをやれていなかった。

 

そんな中でのマンモ予約でした。

 

「私はいつもの通りのマンモね。ちょっと間空いたから行っておいで~!」と話をしたと思います。

 

しかし、妻から驚きの一言。

 

「うん。ちょっとしこりっぽいのがあってねー」


私:「え?」 「ちょっと触らせて」

 

と触らせてもらったらビー玉くらいのサイズ感に感じた硬いコリっとしたものがあり

ゾワッとしました。

 

「いつからなの?いつきがついたの?」と聞いたのですが

 

「うーん。わかんない。気がついたら。」という回答でした。

 

私は妻から結婚する前から、「癌家系で私も将来乳がんになると思う」と言われており

もちろんそれを了承して結婚しているし、大きな問題だとおもっていなかった。

なんせふたりとも切除して元気でしたしね。

 

それから結婚をして、定期的に胸を触って私もしこりのチェックをしてきました。

それがもう当たり前の生活になっていました。

 

なのに、妊娠、出産、子育てのスタートで胸のハリもあるため触ることもなく気が付かず

この日を迎えてしまいました。

 

ほんとに私が気がついていれば。出産後にすぐにマンモを受けさせれば。という後悔だけが頭をぐるぐる周っています。

 

そんな中、マンモの予約が取れたのは1月の後半。とても混んでいてやっと予約がとれた感じでした。

 

 

 

  マンモグラフィーの結果

当日、妻を車にのせて検査を受ける病院へ。

妻が行っているマンモグラフィーはいつも受けたその日に結果がでる病院で

妻がマンモグラフィーを受けている間、車で待っていることにしました。

 

数時間して妻が車にもどるなり

 

「癌でした~」

 

と明るい声で言いました。

 

「え?」「マジ?」「ほんとに?」と聞き返しましたが

 

「うん。まあねぇ。しこりあったしねー」

とけろっとしていました。

 

針でちくっとやったらか結果がでるの2週間くらい先だってー。

とのことで一旦帰宅しました。

 

癌の告知をうけた本人は涙ひとつ見せず何もなかったかのように日常、子育をしていました。

そして、妻の母にも電話をし報告。

 

妻の母も「そー。大変ねぇー」

 

とあっさり。

 

 

まあ、このあっさりなのは妻の一族みなさんいつもそんな感じでして

非常にドライなご家庭なんですよね(笑)

 

なので、私も、「あ、いつもの感じだな」と感じながらも

やっぱりその感覚は理解できず、モヤモヤしていました。

 

 

 

  大学病院へ

マンモの検査をうけた病院の結果がでるまでに2週間。

私はちょっと間が空きすぎだろ。と。そして組織検査でもないし。確定診断のためだけだよね。それ。

という話をして妻にすぐに大学病院に行こうと話ました。

 

そして、妻の兄が大学病院でお医者様をしており(まったく癌とは関係ない科ですが)、義兄の紹介で義兄のいる大学病院に行くことに。

 

すぐにMRIや組織検査などを行い、2月の後半。つい先日。

結果を聞きに妻と病院へ。

 

妻には「俺も一緒に話聞いていい?」と確認をしたのですが

最初は来るの?という感じのオーラを出していました。

 

なんとなくこの文を読んでいるとわかるかもですが、妻の家系からして

「いいよ。一人で聞くから。一緒に聞いても結果はかわらんし」

そんな言葉がでてくるんだろうなと容易に想像がつきます。

 

 

否定の言葉が出てくる前に 「一緒に聞きたい」と念を押して了承してもらい一緒に聞きに行きました。

 

冒頭にも書きましたが、乳がんは取れば治るし、おばあさんもお母さんもやっているから問題ない。と軽く考えていた大馬鹿やろうです。

 

マンモの病院で癌の可能性が高い。との告知をうけてから乳がんについてネットやブログ、色々と調べてある程度知識を持って結果を聞きに向かいました。

ただ、知識といってもステージや乳がんの種類が4つある。

そんな程度の浅い知識のまま行きました。

 

 

 

  告知

診察室に入ると担当の先生から

「お兄さんにはお世話になっています」と紹介ベースなので挨拶をお互いし着席。

 

すぐさま、「結果がこれでー。これがMRIでー。」と画像診断の結果を言われました。

 

「画像をみる限りだとちょっとリンパのあたりが腫れているけど、多分転移じゃないとおもうんだよね。

なので、ステージ2のAですね。大きさは3.1センチかなー。」

と淡々と。

 

知識をあまり持ち合わせていない私と妻は

「なるほど。そうですかー」と言われるがままでした。

ただ、マンモの時の病院では2.5センチ位と言われた記憶が。もう既に2週間で大きくなった?と感じいました。

 

「そして病理の結果ですがー」

「種類はトリプルネガティブですね」

とさらっと。

 

「はーー。トリプルネガティブですか・・・。ショボーン」と私。

 

妻は何も調べてこなかった様でピンときてない表情をして淡々と耳を傾けていました。

 

私はトリプルネガティブ乳がんがどんなものなのか。深い知識はなかったが

乳がんの中で一番厄介。進行度も早い転移性のある全身疾患になる。

というのをざっくり見ていたので、ショックで言葉を失いました。

 

「よりによってなんで、トリプルネガティブなんだよ。おばあちゃんも、おかあさんも違ったはずじゃん!!」

と心の中で叫んでいました。

 

 

「トリプルネガティブはホルモン治療などができないので、抗がん剤からスタートですね」と

説明と今後の方針を告げられた。

 

ただ、「あ、HER2はまだ結果でてないね」

 

「FISH検査っていうのがあって、その結果だけはまだ来てないね」「なので本当にトリプルネガティブかどうかの確定は後日ですね」

 

とのことでしたが、抗がん剤治療はいずれもやらないとならず

「ddEC療法で行きましょう。」

と言われ、淡々とスケジュール調整をし3月頭に開始する予定です。

 

ここまで告知からあっという間。

 

正直、どう受け入れて良いのか分からず。

私は毎日涙が止まらず、食欲も無く、ろくに寝れず。これから先の事を考えると沈む一方。

 

 一番辛いのは妻なのに。

 

妻は涙一つ見せない。とても気丈に振る舞っている。

 

 

 

  妻と話をした

告知から妻は毎日の生活で追われ、この事についてちゃんと話すそぶりもなかった。

そして自分の病気のことについて全く調べていない様子だった。

 

流石にこのままの流れで、抗がん剤をただスタートするにはスタートした後とのギャップで辛くなるのでは?と感じていました。

 

ただ、気丈に振る舞ってる姿はもしかしたら、自分の癌について調べるのが嫌なのかな。とも感じました。

 

どう何を話したらいいのか、このまま妻から言われるまで何も言わない方が良いのかとても悩みましたが抗がん剤スタートまで2週間程度しかないので、本日妻に夕ご飯のタイミングで話しました。

 

自分病気についてどこまで調べてる?

情報をどこまで知りたい?

知らずに先生にお任せしたい?

と言った内容から聞きました。

 

すると妻は「ちゃんと調べようとは思ってたよ。」「やらることがあるならやるつもり」との事。

 

この言葉に少しホッとしました。

 

普通の方なら「ん?それって当たり前でしょ?」と思われるかもですが、冒頭にも書きましたが妻の家系はドライでして、癌を克服した妻の母が違う病気で人工透析をしている。この人工透析をする前、本人は人工透析したくない。するくらいならここままで良い。という事で意見を尊重してほしい。と家族会議があり、妻も義理の兄も了承していた。ただ、病院からは今まで人工透析をしない選択をした人が居ないとの事で倫理委員会が開かれ私たちも呼ばれ、許諾を取ったくらい大ごとになった。

結果、透析をしないままであったが、あまりにもご本人が体調の悪さに再度、透析を依頼することになった。という経緯がある。

 

なので、妻から「やれることはやるよ」っていう言葉はすごく救いでした。

 

プロポリスだのアガリスクだの食事など

試せるものは何でもやってみようと思っています。

 

ただ、みなさんのブログを見ると

「糖質は控えたほうがいい。初期から控えておくべきだった」と書かれていた記事も見た記憶があるのですが、どこまで糖質をさけてあげたらいいのかなどわからず。。。。

 

ぜひ、こんなことを取り入れるといいよ!というのがあれば教えていただきたい。。。

 

 

これからddECという抗癌剤がスタートする。

この抗癌剤がどういうもので、どう効果を発揮するのか。

まだ良くわかっていないので、また調べていかないと。。。。

 

PCR?を目指すというのは見つけたが、効くか効かないかは人それぞれとのこと。

そりゃーそうですが。

どんどん新薬が出てくることを期待。

 

遺伝子治療とかもあるみたいですが、どこまで摘要されるのか。

やったかたはいるのかなど

情報が少なすぎて。。。

 

といろいろと頭の中でぐるぐるしています。

 

もしこんなブログを見ている方がいて

ご経験者がいるようでしたら色々と教えていただけると嬉しいです。

 

 

息子のこと、育児のこと、自分のことなどは

おいおい書いていこうかと思います。

 

 

膵炎になりました。

まさか胆嚢摘出から膵炎になるとは思いもしなかった。

ただ、元を正せば自分の食生活、自堕落な生活が重なってきた生活習慣病なのは間違いない。

膵炎は一度かかると肺と同じで治る事がないそうです。
悪くならないように、膵臓癌にならないように生きていくしか無いようですね。

つまりは生活習慣を正さないと現状維持も出来ない。

大学病院の栄養指導で言われた一日30gの脂質制限をこれからずっとやって行くわけですね。

自分よりも妻にとても迷惑をかけることになってしまった。

7月に産まれてくる初の子供のためにも長生きをしなければ!
膵炎の人の平均寿命が69歳と言われてますがそれまで28年。

順調にいけば子供の成人した姿は見られるはず。孫は難しいかも知れないけれど少しでも長く生きるために食生活、生活改善は必須。

高血圧の持病もあるのでこの生活習慣の変更とダイエットで全ての数値をよくしてやる!!

という事で、妻が作ってくれた食事をレコーディングを兼ねてこれから記録していこう。

という事で、数日前のご飯ですが
うどん、さつま芋。

よく噛んんでいただきました。