昭和48年生まれの自分にとって、夕方のテレビから流れるあの「ワンダバダバ」という血の沸き返るような男声コーラスは、母の呼ぶ「ごはんよ」の声よりも魅力的であった。


子供の頃の我々はリアルタイムのウルトラマンを知らない。
物心ついた時には、ウルトラマンはすでに何度も地球を救っていて「再放送」という名の、終わらないループが続いていた。
当時の夕方のブラウン管は、実に贅沢な万華鏡みたいだった。
たとえば『ウルトラマンタロウ』の、あの圧倒的な親しみやすさと明るさ。
ウルトラの父や母やウルトラ兄弟が総出で助けに来てくれるお祭り感に、我々はどれほど胸を躍らせ、安心させられたことか。
火山怪鳥バードンにゾフィー兄さんも敗れ去るという、鳥肌の立つような話もあれば、テンペラー星人の回ではハヤタやダン、郷秀樹や北斗星司たちが並んでBBQをするという豪華絢爛な集結劇に、テレビの前で興奮した。

『ウルトラセブン』は、子供心にも「これはタロウと何かが違うぞ」(再放送なのでタロウの次がセブンなどになり、本放送と順番が違った)と、背伸びをしたくなるような大人のSFの香りがした。
エレキングやキングジョーの、今見ても全く色褪せない完璧なデザイン。
ウルトラホークが空中分離・合体するあのメカニズムの格好良さ。
しかしそれ以上に胸に焼き付いたのは、人間のエゴが生んだ悲劇の「ギエロン星獣」の回で見せつけられた、言葉にできないモヤモヤとした悲しさであった。

そしてあの最終回。
満身創痍でボロボロになり、ウルトラアイを握る手すら震えていたモロボシ・ダンが、アンヌに正体を告白し、仲間を救うために命を削って最後の変身を遂げる。
あの痛々しくも壮絶な引き際を見届けて、幼いぼくの心はえぐられた。

ウルトラマンもウルトラマンエースもウルトラマンレオも大いに語りたいがキリがなくなってしまう。

ぼくの人生の絶対的な大本命ウルトラマンは『帰ってきたウルトラマン』なのだ。
「ジャック」などという洒落た後付けの名前ではない、断固として当時のソフビにも名前が書いてあった「新マン」であった。




新マン=郷秀樹は、最初から完璧な超人ではなかった。
ウルトラマンの力にうぬぼれては変身させてもらえず、人間の姿でギリギリまで努力するのだ。
不器用で、熱くて、ひたすら未熟な、しかし誰よりもガッツのある漢であった。
そんな郷秀樹を悲劇が襲った「ウルトラマン夕陽に死す」は衝撃回だった。



あのナックル星人とブラックキングの悪辣極まる前後編のストーリーを、どうして忘れられようか。
郷秀樹を支えてくれた坂田兄妹を惨殺され、夕陽の中でボロボロに敗れ去る新マン。
幼いぼくは、息を止めて絶望の底に沈んだ。
しかし、そこからの大逆転が凄かった。
処刑寸前の新マンを救うため、宇宙から初代ウルトラマンとセブンが飛来する。
ハヤタとダンが並び立ち、ウルトラの星作戦だと言うのだ。

なんだかよくわからないけど、すごい作戦なのだ。

何より震えたのは音楽だ。
初代ウルトラマンの主題歌からセブンの主題歌、そして新マンの「君にも見えるウルトラの星」へと、お馴染みのイントロが三連続でバトンを繋ぐあの演出。
あの瞬間、ぼくの血圧は間違いなく沸点を超えていた。
ぼくの高血圧の原因はここからだと思う。

もちろん、最終回のゼットン二代目の、初代ゼットンのカリスマをどこへ忘れてきたのかと言いたくなるようなズングリしたデザインや、バット星人のイタズラ書きの田舎のヤンキーみたいな顔を見て子供心に失笑したのも事実だ。

だが、そんな愛嬌も含めて、帰ってきたウルトラマンの全てが愛おしかった。

夕陽の砂浜で、次郎くんに
1つ、腹ペコのまま学校に行かないこと
1つ、天気のいい日に布団を干すこと
1つ、道を歩く時には車に気をつけること
1つ、他人の力を頼りにしないこと
1つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと
という、あまりにも人間臭い「ウルトラ5つの誓い」を残して去っていった郷秀樹の背中は、まぎれもなく本物の戦士のそれであった。


先日、用事があって東京駅の八重洲地下街を歩いていた。
すると、どういうわけかウルトラマンの店が目の前に現れた。
引き寄せられるようにショーウィンドウを覗くと、ウルトラスパークを掲げる新マンの姿があった。
「帰ってきたウルトラマン55周年記念Tシャツ」
気がつけば、ぼくは財布を開いていた。
たまたま通りかかっただけの、まったくの衝動買いである。
しかし、55年という歳月を超えて、あの赤と銀の細い二重線のヒーローがぼくを呼んだのだ。



郷秀樹を演じた団時朗さんは、数年前にウルトラの星へと帰られてしまった。
けれど、あの八重洲の地下街で不意に出会ったTシャツの重みを感じるとき、ぼくは確信する。
タロウの明るさに躍り、セブンの硬派さに痺れ、そして新マンの泥臭さに涙したあの輝かしい日々。
不器用で、傷だらけで、それでも大切なもののために戦ったあの熱い漢は、昭和48年生まれのぼくの胸の中で、今も変わらず「ワンダバ」のコーラスとともに、永遠に生き続けているのだ、と。

そうだ!忘れていた。
ぼくが1番好きな怪獣は、オイル怪獣タッコングだということを付け加えておこう。
吸盤のついた丸いカラダに短い手足と、似合わない精悍なフェイス。
このデザインの秀逸さには頭が下がる。
タッコングはタコ焼きみたいな姿をしている。
いつかタッコング焼きが再現されるのを心待ちにしている。