研究室 | Flog

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Frogの研究者の息抜きblog

--- since 01-06-07 ---

最近、サボって全然書いてなかったので、ちょっと書く練習、と云う訳で、イキナリ書評(笑):


伊良林 正哉の『ザ・研究室』を読んだ。

著者の四作目の作品である。四作目ともなると、筆の運びもスムーズで、テンポ良く読み易い作品に仕上がっている。

これ迄の作品(例えば、ココ)同様、生物系研究者の社会が舞台であるが、これ迄とは異なり、ミステリィの要素が加味され、新分野への挑戦と云う伊良林の意気込みが感じられる。

以下、粗筋。
地方の国立大学では、公募の形を取り乍らも、それは形骸化しており、往々にして内部からの持ち上がり人事が横行している。北関東大学理学部附属研究所もその例外ではなく、予定では、准教授の飯島が教授に昇任するはずであったが、予期せぬことに、イギリス帰りで、圧倒的な業績を持つ若い中谷が応募して来た為、飯島の昇進は叶わなくなった。その後、中谷の研究室は優秀な人間が外部から続々集り、着々と業績をあげて行く。その一方で、飯島は、大学院の担当からも外され、子飼いの助教だった中村も反旗を翻し中谷研究室へ異動することになり、 中谷に対する恨みを抱き乍ら日々悶々として暮らしている。一方、一時は中谷研究室へ移って、研究者として大成することを夢見ていた中村であったが、と或る事件が切っ掛けで、研究室を去らざるを得なくなり、一時は袂を分かった飯島を頼り、同時に中谷に対する恨みを抱く様になる。やがて、飯島も中村も大学を去った或る日事件が起きた。中谷がコーヒーカップに仕込まれたアジ化ナトリウムを摂取して、九死に一生を得たのだ。犯人は?動機は?

私的には、細かな点で、色々突っ込みどころが満載で、実は、多少、イライラし乍ら読んだことを告白しよう。

幾つか例を挙げよう。

例えば、冒頭に登場人物の一覧があるが、その表記に統一性がない。登場人物は物語中で、時間の経過に依って、学生なら学年が上がったり、或いは、教職員なら地位が上がって行くのだが、或る同じ時間軸で切った場合に、一覧中の相対的な彼等の立場が一致しない。つまり、或る学生がその学年だった時に、或る教職員はその地位ではないはずなのだ。

中谷は、『子息の教育を考えて帰国を決意し』(16頁)たはずなのに、『妻子は現在イギリスで暮らしてい』(324頁)るのは、違和感を覚える。また、中谷の親友、此島のモデルは、作者の伊良林自身であるが(と云うのは、伊良林を個人的に知るものには自明なのだが)、本文中で『此島』であるべき記載が『伊良林』になっている箇所(254頁)があり、笑ってしまった。穿った見方をすれば、初稿では、若しかして、 此島ではなく、伊良林であったのを、後に此島に替えた時に、見逃したのか、或いは、悪戯心で、ワザと伊良林にしたのか、いつか、本人に聞いてみたいものだ。

また、誤植が所々に見られた。以上は、単なるケアレス・ミスであると云えるかもしれないが、逆に云えば、単なる推敲不足であると云えなくもない。

他にも、(研究)業界の内部から見れば、ちょっとなぁ、と云う設定が何カ所も見られる。

実は、ココで述べられている物語には、モデルとなった現実の物語があり、全くの想像の産物ではないのだ。

科学論文と小説は、或る意味、似ていなくもない。どちらも、或るネタを元に、論理的に物語を組み上げて行く訳だ。大きな違いは、科学論文を書く場合は、その『ネタ』は、100%事実でなければならない。その『事実』が客観的に正しいか否かは、第三者に依って、厳密に審査された上で、始めて出版の運びとなる。小説の場合は、『ネタ』は、事実である必要はなく、想像の賜物で構わない、否、寧ろ、そこに作家の個性、実力が反映した創造が産まれる。プロの作家の場合は、そこに、編集者からの客観的な意見も反映される。

伊良林は、素人の作家であり、『ネタ』も事実のアレンジの域に止まっており、其れを元にした想像や創造の域には届いていない。また、個人出版による出版で、編集者の意見が反映されることは(少)ないのだろう。科学論文の場合も、所謂、紀要などは、第三者の審査なしに発表される場合もあり、或る意味、それと同様なのだ。

如何にも中途半端である。上述した様なケアレス・ミスは、本来、出版前に訂正されるべきことであろう。

これは貶しているのではなく、これから一皮も二皮も剥けて欲しいが故の激励である。プロの科学者であり科学論文を量産している伊良林が、いつか、プロの作家になることを、陰乍ら応援しているのだ。

本作は、そんな彼が成長して行く過程で残した足跡なのだ。

以上は、やや内輪的な、偏った読み方であるが、一般の読者には、大学内の研究者の実態(彼等も普通の人間なのである)や、大学の仕組み、大学内で物事が動いて行く為の道理など、興味深い面が語られているに違いない。なにしろ、それは、事実に基づいたアレンジなのだから。

Wed, Feb 15