東京で育ち、25年、

小さい頃から、

夏の一大イベントの盆踊り大会では

毎年必ず東京音頭を踊り、

夏は神宮の花火大会。

東京ヤクルトスワローズは

自然と身近な存在となってました。


今年、

ヤクルト一筋24年の真中監督が、

リーグ第6位の責任をとって

辞任しました。




真中監督は、小学5年生から野球を始め、

ドラフト3位でヤクルトに入団してから

現役生活16年ののち、

コーチ、監督とチームを牽引、

これまで一度も

ユニフォームを脱がなかった男が、

数十年ぶりに、

ユニフォームを脱ぐ決意をしたのです。

つば九郎のブログより~

たしかにけっかがすべての、きびしいせかいです。

 

どんなじょうきょうでも、かってひょうかされるのが、かんとくです。

 

しーずんちゅうは、こころないことばがあっても、ひとり、そのひのこをあびつづけました。

 

えがおがにあう、まなかさんから、ひにひにえがおがきえていきました。

 

ちーむも、けがにん、ちょうしがあがらないせんしゅの、おおいなか、かんとくは、ひとり、いろんなひはんをあびつづけました。

 

ごかいをまねくこともあったことでしょう。

 

まなかかんとくらしいあいさつでした。」



ただの野球ファンの、


素人の私が何か意見するのは


おこがましく、批判や評価する気など


さらさらありませんが、


真中監督は最後、


やっぱり悔しかったと思います、


その涙には


やり尽くした達成感というより、


やりきれなかった悔しさを


やはり感じずにはいられません。



ヤクルトスワローズというチームに


24年も人生を捧げてきた真中監督の引退。


24年のヤクルト生活に、


小学生からの野球経験を加えれば、


本当に、


野球一筋の人生です。



ドラフト後、デビューしたのは


奇しくも、つば九郎と同じ年とのこと。





色々な思いがありつつも、

男らしくそれを飲み込み、

責任を背負い、

辞任した真中監督。

長年その姿を見てきたつば九郎だからこそ、

同じ悔しさを

感じずにはいられなかったんだと

思います。


小学生からやり続けた野球を

引退するって、

いったいどんな気持ちなんでしょう。

まずはやっぱり、

つば九郎の言うとおり、

ゆっくりしてほしいなと、

思います。