15年前、姉の長男で、両親にとって
初めての孫が生まれました。
当時大学に通っていた僕は、
調布で姉と義兄と3人暮らしを
していて、その彼が生まれたタイミング
で、離れたものの、甥っ子は、とにかく
明るくてかわいい男の子。
わんぱくな彼が、幼稚園を受けるとい
うので、失笑しながらも、受かったのは
桐蔭学園の幼稚部。
家は調布だったので、姉一家は、それを
機に横浜に引っ越していきました。
わがままに、子どもらしく、順調に
育った甥っ子。
桐蔭の中学に入り、膝の裏に腫瘍が
できてしまいました。悪性の。
手術をし、取り除き、以後経過観察。
ところがその病魔は、肺に転移し、
憎たらしいことに、膝に再発して
いました。
3年半の闘病生活で、彼は病気に臆する
ことなく、茨の道を突き進みました。
片足の切断を含め、何度も手術を試み、
最後まで病気と闘い続けました。
人は平等な方がいい。頑張った人が
得られる達成感は、より長く希望輝く
達観を得られると、信じて疑いません
でした。
しかし、大晦日、彼の命は底を尽き
ました。
若干15歳。小児ガンが憎くて憎くて
たまりません。
彼を見送りましたが、すっきりする
どころかやるせない思いばかり。
生前、彼は、片足を失くして将来を
直視したとき、僕の父の跡を継いで、
僕たちと一緒に仕事をしたいと言って
くれていました。僕に声がとても似た、
気の優しい子でした。
もうしてあげたいと思っても何も
してやれません。
火葬に際し、霊柩車を、何人もの
桐蔭学園の制服を着た生徒さんたちが
見送ってくれました。
賢そうな、大人びた、でも少年少女
の面影残る彼らの立ち姿に、甥っ子の
魂は見届けられました。
彼らと同じ学舎でもっと学びたか
ったでしょう、もっと悪いこともした
かったでしょう、恋もしたかったでし
ょう。
この世に、やってやれないことが
あるなんて、悔しくて悔しくて仕方
ありません。
また、思い知らされました。
また、頑張らなきゃって思いました。
いい社会になって、いい人間が増え、
助けあい、助かる世の中になって欲しい。
使命あっての人間です。やり遂げたら、
人に寄りかかればいいのなら、やり遂げ
るまで、全てを投げうって頑張れる。
寄りかかれる将来が作れるのも、今の
努力にかかっているのです。
今に見てろよ小児ガン。
屈したら人が運命にコントロールされる
人生しか歩めないということです。
そんな世の中はまっぴらですから。