今週も残すところあと6日となりました(笑)。
さて、今日は、『スパルタ』の由来のお話。
スパルタ教育とは、
極めて厳格かつ過酷な訓練を施すことが特徴である。
自己が帰属する組織への忠誠心の涵養や、軍事訓練、
歌唱、舞踊、狩猟など総合的な社会学習を主眼とする。
という意味です。
スパルタでは、子供は国の財産として珍重されていた。
同国の子供は7歳になると厳しい軍事訓練を課せられ、
その過程で体に障害を生じた子供等を殺害していき、
残ったものだけを市民として育てた。
アテナイの、自由で芸術や弁論を尊重した教育の対極にある。
実際の教育についての資料は、プルタルコスの『英雄伝』
(対比列伝)のリュクルゴスの項にある。
彼による教育改革が、いわゆるスパルタ教育である。
そこではまず、親は自分の子供を自由に育てる権利を持っていなかった。
「子供は都市国家スパルタのもの」とされ、生まれた子供はすぐに
元老の元に連れて行かれた。
そこで「健康でしっかりした子」と判定されれば、育てる事が許される。
病身でひ弱な子供は「生きていても国の為にならない」として、
ターユゲトンのもとにあるアポテタイの淵に投げ捨てられた。
また、7歳になった子供たちは軍隊の駐屯地に集められ、
いくつかの組に分けられ、同じ規律の下、生活と学習も一緒に行われた。
そこでの規律は「命令服従すること」「試験に耐え、闘ったら必ず勝つこと」
などで、頭は丸刈りにされ、下着姿に裸足で訓練を行った。
12歳になると、下着はなくなり全裸となり、沐浴も禁止された。
また、上官による体罰も全裸で行われた。
また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を
盗ませるようにした。
これは、盗みによって兵士の能力としての大胆さや狡猾さを身に
付けさせるためであったとされる。
教育は成人するまで続き、町でも駐屯地にいるのと同じ生活を求められ、
公人として国に仕えているという自覚を常に求められた。
20歳になると部下を持ち、戦争の時は指揮し、家では彼らを召使いにした。
女性も「強い子供を産める母体の育成」のために幼少期から厳しい体育訓練
を受けていた。
また、他のポリスと比べて女性の権利や地位はある程度認められていたといわれる。
その教育の結果の一つとして、男性には強い子供が産めそうな女性、
女性には戦争に出ても生きて帰って来そうな男性が魅力的と見なされる
傾向が強く、成人後に結婚相手を選ぶ際、魅力的な女性を複数の男性が取り合うことや、
これほど頻繁には起こらなかったが、逆に魅力的な男性を複数の女性が
取り合うことなどもあったらしい。
以上ウィキペディアより(笑えない)
柔道のあの方も、大阪の先生もびっくり!の内容です。
当事務所は、スパルタ教育ではないのですが、
今回購入した事務所備品が、たまたまスパルタ兵の
兜だったので、ついでに調べてみました(笑)
現物は、そりゃもう
おどろおどろしい備品になっています。
ちなみに、購入を迷っているとき、店主が、
『男性は興味あっても、それ、女性は1ミリも
(興味)ナイっすね』
とナイスなことをおっしゃっていました。
全貌をご覧になりたい方は、
ぜひ事務所に遊びに来て下さい(笑)。